5W1-Western samoa、KH6-Hawaii
**1989年8月**
<<<5W1(西サモア)、KH6(ハワイ)>>>


JA3YAQの5W1ペディション 
        JH3TXR/山本祥三、JF3PLF/杉浦雅人

【基本計画の決定まで)】
 みなさんも御存じのとおり、JA3YAQでは40周年記念行事のひとつ「5W1ペディション」の
計画が進行中です。今月からこの特別プロジェクトの進行状況を報告することになりました。
まず、この計画の発足からパスポート申請までの経過です。
 JA3YAQでDXペディをやろうという話は、以前からちらほら出ていましたが、具体的に話が
まとまってきたのは昨年の秋頃からでした。私も以前からDXペディに参加できればと思っていたの
ですが、国内の移動運用とちがって簡単に
行けるものではありません。(比叡山の移動もたいへんですけど)そういうわけで今回のこの
ペディには迷うことなしに参加を決めました。
 とりあえず、行き先を決めようということになり、昨年の終り頃だったと思いますが、いつもの
会報印刷後、DEV先生のもってきた世界地図でわいわいとやっていました。ペディやるんなら
やっぱり珍しいとこがいいとか、PLFさんのN7DUUが使える方がカッコいいとか、個人別に
向こうのコールがほしいとか、上陸自体がむずかしいとこはダメとか、シャワー付きのホテルがで
泊まりたいとか、電気がきてないとあかんとか(まさか、いつものようにトラックで発々を運んで行く
わけにもいきませんので)、いろいろ条件がでてきました。その時には3D2なども候補にあがった
のですが、結局、PLFさんが5W1GPさんを知っているとかで、5W1にしようということに
なりました。
 次に日程ですが、ALL ASIAのCWに合せようと言う意見もありましたが、サラリーマンは
長期の休みが取りにくいということもあって、盆休みを含めることに決めました。
 これらの大まかな計画がきまったところで、衝撃的に新年会と会報で発表されました。
 ともかく、5W1のくわしい状況を調べようということで、これはPLFさんの担当です。
5W1GPさんに手紙を書いたところ、FBな返事をいただきました。
JAの免許があれば問題なく向こうの免許がもらえる、5W1GPさんのリグも貸してもら
えるなど。これで行き先は決定です。
 同時にNTSさん、DEVさんの旅行費用、ルート等の調査です。この人たちは海外旅行の
プロですんで、完璧です。【編注:両氏は旅行業者ではありません。】
 さあ参加者の募集がはじまりました。旅券などの予約の関係もありますので、とりあえず
参加希望者者を集めてミーティングをしようということになり、3/6の第一回ミィーティングが
開催されました。この日は8名の参加がありました。
 といっても参加者はだいたい予想していましたが、YAQ以外の人もOKということで、
子供連れ(JR3OFXさん)や兄貴の参加(JF3LGCさん)などのファミリーでの参加
希望者もでてきました。他にも行きたい人がいたようですが、費用の問題や休みがとれない等で
断念した人もいたと聞いています。(「行くのなら離婚届にハンコ押してから行って!!」と
Xさんに言われて断念した人もいたとか。)他に一昨年の全市全郡コンテストで大活躍した
JE3NWQさんの参加も噂されましたが、仕事の都合でキャンセルとなりました。
 行き先の5W1は決定していますので、この日のミーティングでは具体的な日程を決めました。
これは飛行機の便の関係で制限が大きいところです。(5W1には日本から直接便はなく、
ホノルル経由で行くのがいちばん安いようです。さらに、ホノルルから5W1の便は週に
2便しかないそうです。)ここでも、先にホノルルに行って待ってるとか、後で余分に残りたい
とかありましたが、いくら盆休みでもサラリーマンが1週間以上も休みをとるのも難しいので、
基本パターンと延長パターンの2つのパターンから選べるようにしてもらいました。
(そのほか特殊パターンとしてLGCさんの兄貴の現地集合現地解散というのがあります。)

基本パターン (JA3RCT,JA3UWB,JH3FJG,JH3TXR,JR3KIB)
  8/12   大阪出発 − ホノルル − アピア(5W1)
  8/16   アピア − ホノルル
  8/19   ホノルル −
  8/20   大阪着

延長パターン (JR3OFX+1.5,JE3QBG,JF3LGC,JF3PLF,JI3NTS,JK3DEV)
  8/12   大阪出発 − ホノルル − アピア(5W1)
  8/19   アピア − ホノルル
  8/22   ホノルル −
  8/23   大阪着

 出発は一緒で帰りが違うということです。いずれもKH6で数日に過しますので、KH6/JH3TXR
などという運用も検討中です。(これがないと向こうで430のハンディーも使えないので
不便でしょう。)
 さあ、この日程で飛行機の予約に走ります。(盆休みにかかっているため早めに手配が
必要です。当然、担当はDEVさんです。)
 さらに、その他の事務手続きの準備も始めなければなりません。私も含め海外旅行の手続き
などわからない人もいたので、まずパスポートの申請方法の「いろは」からです。3/22の
第2回ミィーティングは「パスポートの申請書を書こう会」ということでDEV先生の丁寧な
御指導により行われました。そろそろ、みんなパスポートを手に入れていい頃でしょう。


【5W1免許申請の準備】
 ここからは無線の免許申請です。5W1は相互運用協定がありませんので、5W1なんとかという
コールを貰うわなければなりません。
 5W1では簡単にコールをもらえるようですが、日本の免許の証明が必要です。(当然、日本語では
ダメです。)日本の免許の英文証明は電気通信監理局で発行して
くれます。基本的には全員が個人コールを申請しますので、日本の免許の英文証明を電気通信監理局に
申請するための書類を書く目的で、4/10に第3回5W1ミィーティングが開かれました。みなさん、
パスポート・従免・局免・ハンコをもっての集合です。 始めは、みんなでパスポート・従免・局免の
見せ合いです。LGCさんの電話級の従免の写真の若いこと(可愛いといった方がいいかもしれません。
中学の頃だそうです。)、OFXさんの従免の名前が訂正してあるとか、局免が2枚綴りだとか、
PLFさんのパスポートの番号がフィーバーしている(ナンバーの中に777があっただけです。)などと
訳のわからん自慢大会です。
 英文証明の申請用紙はPLFさんとQBGさんがが取り寄せてくれていましたので、PLF先生の見本を
見ながらの作業です。パスポート・従免・局免のコピーがいりますので、私のファミリーコピアでコピー作業を
進めます。この辺は完全に流れ作業です。
 しかし、この申請書の提出先が従免と局免のが別々で(前者は検定課、後者は私設2課)2枚の用紙を書く
必要があります。(どうせ両方いるのに。お役所仕事ですね。)
 これで5W1に申請のための準備はできました。英文証明ができれば、5W1GPさんに送れば向こうでの
手続きをやってもらえます。KH6の方については、現在書類を取り寄せており、次回ということでした。
(担当はQBGさん) ここで、一つの問題が出てきました。いままで、KH6と5W1の飛行機の
スケジュールが週2便であったのが、6月から週1便となるそうです。我々のスケジョールも変更しなければ
ならなくなりました。他のルートを探したところ料金が少し高くなりますが、シドニー経由というのが
ありました。そこで、日程は長いが安いパターン(JA-KH6-5W1-KH6-JA)と少し料金が高いが日程の短い
パターン(JA-VS6-VK-5W1-KH6-JA)に別れました。前回までの計画では、出発は一緒で帰りが違うということ
でしたが、今回の変更で行きが違って帰りが一緒ということになりました。我々は前者を無線パターン(8/7-8/20)、
後者を観光パターン(8/11-8/20)、極楽パターン(8/10-8/20)と呼んでいます。
 このスケジールでなんとか飛行機がとれましたので、日程は完全に決定です。(やっぱり盆休みは一杯で
なかなか取れなかったようです。DEVさん・NTSさん、御苦労様です。)なおこの頃、JA3RZWさんが
参加メンバーに追加されました。
 さらに観光パターン・極楽パターンはVKで過す時間がありますので、ここでも相互運用協定を使って電波を
だそうという話も計画中です。
 私のほうも個人的にも順調に準備が進んでおります。会社で今年の休暇カードが配られましたが、すぐに
盆休みの休暇届けを出してしまいました。課長のハンコを貰ったので、何とか行けそうです。

【相互運用協定の申請】
 またまた追加の参加者としてJA3RCTさんのXさんがメンバーに加わりました。ただ、残念なことに
LGC編集長が都合がわるくなり「リタイヤ」となりました。
 まず、全日程の発表からです。行動パターンは3つに別れ、それぞれ無線パターン(JA-KH6-5W1-KH6-JA)、
観光パターン(JA-VS6-VK-5W1-KH6-JA)、極楽パターン(JA-VS6-VK-5W1-KH6-JA)と呼んでます。

無線パターン(JR3OFX+1.5,JE3QBG,JF3PLF)
   8/7   大阪発
   8/8   ホノルル経由 − アピア着
   8/17  アピア発 − ホノルル着
   8/20  ホノルル発 − 大阪着

観光パターン(JA3UWB,JA3RCT+X,JA3RZW,JH3FJG,JH3TXR,JR3KIB,LGCの兄貴)
   8/11  大阪出発 − ホンコン経由(ただし、LGCの兄貴は成田発)
   8/12  シドニー着
   8/13  シドニー発
   8/14  アピア着
   8/17  アピア発 − ホノルル着
   8/20  ホノルル発 − 大阪着

極楽パターン(JI3NTS,JK3DEV)
   8/10  大阪出発 − ホンコン
   8/11  シドニー着
   8/13  シドニー発
   8/14  アピア着
   8/17  アピア発 − ホノルル着
   8/20  ホノルル発 − 大阪着
(すべて、JAでの日付です。)

 ややこしそうですが、要約すると次の通りです。観光パターンはVS6でLGCさんの兄貴と合流、VKで1日先
に行っている極楽パターンと合流します。その後、5W1で別のルートで一足早く出発した無線パターンと出会い
ます。5W1以後は全員一緒に行動します。HK6からJAの帰りの飛行機は予約の関係で、一部、成田経由大阪着と
なるかもしれません。
 5/18に定例の「第4回5W1ミィーティング」が行われました。
 今回のおもな目的は、先月のミィーティングでコピーした局免などをもとに、QBGさんがWでの相互運用協定の
申請用紙を作成してくれましたが、これに本人のサインが必要ですのでサイン会を行う事でした。
 さらに、各自に旅行会社からの詳細スケジュール表が配られました。エコノミーがとれずファーストクラスに
なったり、最近の円安(リクルート疑惑が悪い!!!)のおかげでどうも旅費が高くなりそうだとDEVさんより
説明がありました。日本の政治がこんな所まで影響するとは。みんなで円高になる事を祈ろうと誓いあいました。
 また、VKでの運用は、滞在期間が短いこと、申請が間に合わなので(運用の3か月前に必要)今回のペディ
では見送る事にしました。
 さらに、向こうでの無線設備をどうするか、特に先発隊が一人減ったので持ってく荷物をどうするか話し合い
ましたが、5W1GPさんの設備が借りられるかで持っていく物が違ってきます。いまそのへんをPLFさんが
問い合わせ中で、5W1GPさんからの返事待ちという事でしたので、結論は出ませんでした。
 その他まだまだ情報不足ですのでDEVさんとPLFさんに情報(旅行、無線とも)集めてもらっています。
 観光案内書によると、5W1はサムア語だそうですが、ほとんど英語が通じるとの事です。(子供の頃から
英語の教育をしているそうです。)しかし、こちらが英語を話せなければどうにもなりません。私の話せる英語
は、"MY QTH IS KYOTO"とか"GOOD LUCK CONTEST!!"ぐらいですので、これままずいと思い、最近、NHKラジオの
「英語会話」を聞き始めています。けど間に合うでしょうかね???

【運用計画】
 PLFさん、DEVさんの調査によりVKに寄るよるだけでもビザがいるとか、5W1に行くのにWのビザが
なければ入国できないとかありまして、とりあえずビザをとろうと言う事で、6/1の「第5回5W1ミィーティ
ング」でWとVKのビザの申請用紙を書くための説明会がおこなわれました。申請についてはは各自が出発までに
行うことで終了しました。また、PLFさんの未確認情報によると、5W1ではJAで免許が無くても免許が
おりるとかいうウワサもありました。(あまり関係ないですが)
 さらに、PLFさんの努力で5月の末に5W1GP山崎さんと連絡がつき、一気に計画が進展しました。
PLFさんからのレポートを以下にまとめます。
 5W1の免許そのものについては、現地到着後に発給されますが、予め5W1GPさんに申請してもらい、
コールを確定させておく事が出来るそうです。
 宿泊については「オリビア=アコモデーション」という民宿をおさえてもらうよう手配してもらってます。
(先日、5W1のペディをおこなったJL3UIXのグループも利用したようです。)バス、トイレ、シャワーは
付いていますが、高級ホテルではありません。HI
 機材については5W1GPさんが現地に置きっぱなしにしてしまっている物を借りる事が出来ます。ただし、
一部のものは終了後、JAに持って帰って来なければなりませんが、不足分だけ持って行けばよく、荷物が
かなり助かりそうです。
 そこで、具体的に持ち物リストをまとめるため、6/15に「第6回5W1ミィーティング」がおこなわれ、
PLFさんが作成した持ち物リストをもとに運用設備が討議されました。(私は欠席でした。)現地で借りる物は
5W1GPさんのTS680S、AL84(リニアアンプ)、PK−232(RTTYのできるTNCです。)、
ワードバンクノート(TNCの端末です。)、HFの3エレトライバンダ、こちらから持っていくものは
FT767GXXを2台とFL7000(いずれもレンタルです。)、3.5・7・10MHzDP(OIN宅より
借用)、50MHz6エレ(新しく買う)です。あとの小物はいつもの比叡山の移動とおなじ程度で、OIN宅や
個人の物を持って行きます。先発隊はリグ1台と7MHzのDPぐらいを持って行きます。これでだいたい向こう
での設備が想像つくでしょう。結構ありそうですが、13人で分ければ、何とかなると思ってます。
 6月のはじめには、FCCに申請していた、Wの相互運用協定の許可書が各自に送られてきました。これは表が
宛先、裏が許可書という1枚の紙きれのちゃちなもので、広告とまちがって捨てる所でした。おまけに端が破れて
います。こんなもので運用してもいいんでしょうか?しかし、ここらあたりが「アメリカ」という感じです。
 以上のように、かなりの進展があり、ペディの形がなんとなくみえてきました。
 私はとりあえず、行ける状況をつくるため、仕事の帳尻をあわすべく努力をしており、残業の毎日です。

【出発前の追い込み】
 決めた持ち物リストに基づき持って行く物を揃え始めています。
 FT767GXX(2台)とFL7000はRCTさん、QNHさんの努力でYAESU入荷出来ております。1台のFT767を
エージングを兼ねてどんなんか使ってみようと支部大会で10MHzの運用してました。HTKさんがCWをやっていた
所どうも調子が悪い。そのうちパワーが出なくなり、展示にきていたYAESUさんに持ってかえってもらい即入院です。
5W1に行くまでに使っておいてよかった。向こうで故障してもYAESUのサービスステーションはないでしょう
から。HI。一応、修理が完了しているようで、今、2台のFT767はテストを兼ねQNH,PLF宅でこき使われ
ております。PLFさんのFT757も持って行く事になりました。
 HFのアンテナはOIN宅から 3.5,7,10MHzのDPをもって行きます。50MHzのANT (CL6DX)は私が寺町で手配し
入荷済です。(ついでに自分の分も含め2本手配しました。得意のまとめ買いです。)
 そうそう支部大会の抽選でいきなりNTSさんに当った HF の2エレ・トライバンダはLGCさんに¥3Kで
QSYとなりその売上金はこのペディに寄付されることになりました。
 さて、いつもの5W1ミィーティングは直前ということで、毎週行われることになりました。「第7回5W1
ミィーティング」は7/11に行われました。
 DEVさんの調査で5W1に行くために、Wのビザはなくてもよいということが判明しました。(というか、申請に
行ってもビザの発行を拒否されたそうです)またVKのビザの申請は代理人でも可能という事が分かりましたので
代表に行ってもらいます。
 持ち物の再度確認です。誰が何を持って行くか、何を買わないといけないかなどの決定、特に行きは主に2グループに
分かれるのでどちらが何を持って行くかが議論されました。(リグやアンテナという大物があるため。)結論としては
ほとんどを先発隊が持って行くことになりました。というのは先発隊はKH6経由で行くので大阪で荷物を積めば
5W1まで積みおろしが不要なことからです。(後発隊はVKでの時間の関係で一度荷物を引き取らなければ
ならない。)後発隊はリグ1台とDPです。それ以外は先発隊です。それとペディ用のTシャツのデザインも
決定しました。ペディに行かないけどTシャッ欲しいという人はDEVさんに相談してください。
 さらにPLFさんと5W1GPさんの間で連絡がとれました。その内容ですが、まず宿泊についてはオリビア=アコモデーションは、
全員の分押さえられたようです。さらに免許の申請は済んでいて、発給は現地到着後となるそうです。設備ですが、
当初、5W1GPさんから、貸りる予定の器材について、やむを得ず変更となり、TS680 は FT757 、PK232 は θ-777 、
コンピュータは 9801LV21 となりました。リニアアンプ AL-80 についてはKH8に置いてきたため、貸せなくなった
とのことでした。これらの事から、2点、不都合が生じてきました。1つは先発隊が持って行く荷物だけでは 50MHzの
QRVができないこと。2つ目に、先発隊は、HF2バンドに出る場合にも、リニアが1台しかないことです。今後の
検討課題となりました。
 という事で、多少の問題は出て来ましたが、5W1に行って無線をやるという基本目標の実行自体には何も問題は
なくなりました。一応、一安心です。
 続いて、7/18に「第8回5W1ミィテーング」が行なわれました。実はこのミィーティングの始まる寸前に
PLFさんと5W1GWさんとのスケジュールQSOによりさらにFBな情報がはいってきました。この5W1GWさん
という方は現地に駐在しておられるNTT関係の方で、我々が行ってからもお世話になります。(5W1GPさんとは
すれ違いになり、会えません。)すでに、現地で具体的に動いていただいています。その結果、上記の問題もあっさりと
解決しました。まず、ここで最もも重要な事は5W1でのコールが決定した事でしょう。すでに、5W1GWさんにより
免許申請が行われており、各自に「5W1I*」という2文字コールが割り当られましたので発表します。
(全員、2文字コールに出世です。)

  5W1ID (JA3RCT)     5W1IE (JA3RZW)
  5W1IF (JA3UWB)     5W1IG (JH3FJG)
  5W1IH (JH3TXR)     5W1II (JR3KIB)
  5W1IJ (JR3OFX)     5W1IK (JE3QBG)
  5W1IL (JF3PLF)     5W1IM (JI3NTS)

 また、5W1GWさんの調査によると 18,24MHz も運用OKと言う事で、電波を出せます。まだ、18,24MHzの申請して
ない人は間に合うかどうかわかりませんが。QNHさんは 18,24MHz での1stQSOは5W1とやりたいとがんばって
おられます。
 リニアの問題も解決しました。5W1GWさんがJA8の人からリニアを借りるという事になっているそうですが、
かなりの送料がかかるみたいです。使わせてもらえるなら、我々が持って行きましょうとリニアを運搬することに
なりました。
 50MHz についても向こうに FT690 とリニア(25W)と4エレがあるようで、先発隊もなんとか50MHzが出せます。
 HF用にバーチカルアンテナ(バターナット2V,6V)が現地の倉庫でころがっているそうです。これも使って
いいとの事。心配していたコンジットパイプも借りられるようです。
 ホテルのTELもわかりましたので、有線でのQSOも受け付けます。(オリビア=アコモデーションホテル TEL 22-110 )5W1まで、
どうやったら TEL できるかは自分で考えてください。(5W1の国番号は685ですので、たぶん 001-685-22-110 で
電話がかかると思います。)
 少し大まかですが、運用計画も決定しましたので発表をします。JAからQSOしたい人のためにどうやったら5W1と
QSOできるかの説明をしましょう。当然、VHFでは無理ですからHFの設備がいります。14や21MHz なら常につながる
と思います。
 運用地は5W1とKH6です。(ただし、5W1は完全に運用OKですが、KH6については現地のホテルの都合で
QRVできるかわかりませんのであくまでも予定です。しかし、オートチューナーもある事ですので、ロングワイヤーを
張ってでもQRVをするつもりです。)さらに、場合によってはKH8(AMERICAN SAMOA)まで足をのばしてQRVも
できるかもしれません。なお、VKではQRVはしません。
 使用するコールサインは5W1では当然むこうのコール、KH6・KH8については相互運用協定に基づきJAのコールを
使います。(たとえば、KH6/JH3TXRです。)ただし、KH6ではPLFさんだけはWのコール N7DUU が
あるのでN7DUU/NH6となります。
 5W1のコールについては全員のコールを使うとややこしいので、基本的にはSSB用に5W1IK、CW用に5W1IL、
RTTY用に5W1IJのコールを代表で使う予定です。ただし、2波同時に出したりしますので、あとは各自の管理で
自分のコールで勝手にでます。いっぱい5W1とQSOしたい人はJAから逆指名していただいても結構です。
(指名料はいりません。)5W1IDから5W1INまですべてのQSLを集めたらアワードをあげます。(ウソです。)
5W1のQSLカードは全てJA3RCTさんまでBUROまたはSASEで。(YAQメンバーはスーパダイレクトでも可です。)
KH6については各自のホームコールまで。
 周波数は 1.9MHz から 50MHz (一応、144,430MHzも出せます。HFは 10/18/24MHzも含まれます。)です。しかし、
安定してJAと繋がるのは 14と21MHz ですので、メインはこのバンドになりそうです。50MHz はもし開ければできるで
しょう。KH6についても出来るだけ多くのバンドにでられるよう努力します。
 メインバンドの運用中心周波数ですが、SSBは14.195MHz±10KHzと21.295±10Hz、CWは
14.025MHz±10KHzと21.025MHz±10KHzを予定してます。(5W1・KH6とも)他のバンドの
周波数は特にきめていません。
 運用予定の時間ですが、基本的に24時間体制で行いたいと思います。(ほんまかいな?)まあ、少なくともJAの
ゴールデンアワー(18:00−24:00)は毎日運用します。しかし、この時間帯は5W1では22:00−04:00
となりますので、起きていられるか心配です。しかし、寝るより無線の好きな人が参加していますので大丈夫でしょう。
 第一声のスケジュールですが、先発隊が5W1について運用開始できるのは8/9の昼過ぎでしょう。(JAの時間で。
以下全てJAの時間)現地から用意ができればDEV宅にTELがありますので、当日のそれらの情報はDEVさん
(orQNHさん)まで問い合わせください。私は後発隊ですので、JAから5W1とQSOできるチャンスがあります。
後発隊との合流後、5W1でのQRVは8/16の朝までとなります。
 このあと、KH6に移動しますので、一時停波となります。KH6で運用は8/17夕方頃から運用し、8/19昼頃
までとなるでしょう。
 なお。今回のペディの目的は「JAによるJAのためのペディ」であり「KYOTOによるKYOTOのためのペディ」
であり「京都クラブによる京都クラブのためのペディ」であります。したがって、毎時00分は「京都タイム(または
YAQタイム)」として京都オンリーというエリア指定を行います。特にこの時間はYAQメンバーのコールが聞こえないか
注力します。この時間以外でも京都と叫べばとってもらえる確率は非常に高いはずです。JAとの定時連絡もこの時間に
行います。
 まあ、特に、パイルがなければ10Wでも十分QSOできると思います。もし、どうしてもとってもらえない時の対策
として次の方法があります。
 (1) パワーをあげる。(免許の範囲で)アンテナのエレメントをふやす。
 (2) だれか、FBな設備の人の家に迷惑を省みず押し掛けてしまう。
 (3) 00分の京都タイムまでじっと我慢する。
 (4) とりあえず、京都と大声で叫び続ける。
 みなさんもがんばってコールしてみてください。QSOは日本語(京都弁・関西弁)でもOKです。QSOしたいけど、
HFのリグなんかないぞという人はHFのリグのある人を見つけましょう。(OINさん、QNHさん、LGCさんあたりが
FBかな?)
 運用前だけでなく運用中もスケジュールなど現地のの詳しい情報は常にJAのQNHさんと連絡をとり合つもりです。
今後、このペディの最新情報を知りたい人は参加者またはQNHさんまで問い合せてください。計画の内容が変更される事も
ありますので、各局のインフォメーションにご注意ください。パケットではDEV−1のBBSに色々な MAIL が入ることと
思います。
 ついに出発まで1ケ月をきりました。まだ完全に計画がかたまっていないところもありますので最後の追い込みにかかります。
 出発まで5W1のコールの発声練習をしておこうと思ってます。みなさんも、しばらくはTXRさんと呼ばず、IHさんと
呼んで下さい。


  【後発隊がサモアに着くまで】
 現地との連絡を密にするため、7/19から、毎日、 06:30 より 21.390MHz で5W1GPさん達とのスケジュールQSOが
設定されました。毎日、会社に行く前にシャックの前で待ってましたが、肝心のGPさんやGWさんが出てくる確率が少ない
状況でほとんどYAQメンバーだけのミィーティングになってました。後半は、1日に2回のスケジュールが組まれてましたが、
後の分は昼前でしたので普通のサラリーマンでは参加不可能でした。唯一、PLFさんは夏休みに入ってましたので、打ち合せを
してくれていました。
 7/21にはJARL京都府支部より京都クラブにベティの記念として、ログ20冊をJH3QNH会長にいただきました。
ありがとうございました。
 7/23にはJA3OIN宅におしかけ、必要なものの調達です。同軸やアース棒など倉庫がら借りたり、10MHz,18MHz,24MHzの
DP、電源コンセントなどの製作をしました。
 7/25には定例の「第9回5W1ミィーティング」がおこなわれ、旅行中の保険の申込の手続きをしました。その後、
PLFさんがRCT宅におしかけ、5W1用にリニア(FL2100)、FT757のスイッチング電源を借りてきました。
 そろそろ出発も近づいたので、我々の連絡を密にするため、7/26より毎日 22:30から 21.430MHz でオンエアミィーティ
ングが行われるようになりました。
 8/1に最後の定例ミィーティングである「第10回5W1ミィーティング」が行われました。大きな荷物であるリグを
どう梱包するか、現地の方々へのお土産を何にするかを決定しました。PLFさんのFT757はスーツケース、FT767と
FL2100には袋(OFXさんの手作り)をかぶせて手荷物として機内持ち込み、FL7000はダンボール箱に入れて
預ける事にしました。お土産はホテル、5W1の電監、5W1FDさんたちの分として「西山しぐれ」、「扇子」、「八つ橋」、
「ミニ提灯」を買いに行く事にしました。
 8/2は私がC/Mに休みでしたので、PLFさんと一緒にT/CとUS$を交換しに銀行に行ってきました。なんと、最近は
ドルが自動販売機で売ってるんですね。PLFさんはDXのカード収集用に$1紙幣をいっぱい買ってました。ラッキー
なことにこの頃が、ドルがいちばん安い時でした。この日、出掛けたついでに5W1へのお土産を京極で買ってきました。
 YAQメンバーが例年の網野にいっていた8/5には、「結団式」という名目で先発隊の送行会、オリジナルTシャツに
コールを付ける製作会、先発隊の荷物をまとめる会がJK3DEV宅で行われました。当然、「焼き肉」の宴会付きです。(当初、
「すき焼き」の予定でしたが、夏にクーラーのない部屋ですき焼きは暑いですからね。)また、無線もしたいということで、
夕方から吉井倉庫に7MHzのDPを張ってサモアに持って行くFT767を並べ、仮シャックの完成です。焼き肉が始まれば
いつものパターンです。そのうちだれかが、買い出しのついでに花火を買ってきて、花火大会もやってしまいました。この日は
フィールドデーコンテストのでしたので、ポータブル山科で7MHzで各自のコールで参加です。大方の予想どおり、無線機の
前からはなれなかったのが、PLFさんとUBWさんです。この時、我々の頭の中に「この2人と一緒にサモアいったら、無線
やらせてもらえへんのとちゃうやろか?」という一抹の不安が浮んだことは言うまでもありません。
 宴会を先にやってしまったので、荷物の準備などが後回しになってしまいました。(というか、もうまとまりがつかなく
なった。)しかし、OFXさんがせっかくアイロンを持ってきてくれたので、Tシャツの作業だけはしようという事で、夜中に
なって始めました。(この時点で、何人かはすでに寝ていましたけど。)今回のペディ用に作ったオリジナルTシャツに、5W1の
コールサインをOFXさんが探してきてくれたアイロンプリントでつける作業が始まりました。(各自、Tシャッは2枚ずつ)
5W1GP,GW,FDさんの分もお土産にしました。
 この日、この旅行の飛行機の費用が正式に発表されました。(先発隊46万円、後発隊約54万円)盆休みでファーストクラス
しか取れなかったので、高くついたようです。5W1もシーズンオフにうまくルートを選んで行くとかなり安いそうです。
 夜中に帰った人もいましたが、数人はJK3DEV宅でザコ寝となりました。
 前日に荷物の梱包する予定でしたが出来ませんでしたので、8/6の朝起きてからはじめました。(PLF,DEV,QBG,TXR)
 PLFさんの鞄の中はほとんど無線関係の物が占めて、自分の服もろくにはいらない状況でした。(といっても、サモアでは、
服が無かってもなんとかなりますけど。)先発隊は、この日の夜中まで荷物を詰めていたそうです。
 梱包も完了し、8/7に先発隊(OFX+1.5,QBG,PLF)が、FL2100,FL7000、FT757を持って
出発しました。荷物の重量は合計80Kgだったとか。リグ等の他にANTや同軸もありますので、この重量の大半は無線ための
荷物でしよう。
 8/8にはオマケとして残っている者で「第11回5W1ミィーティング」を行い、航空券が各自に渡されました。この日の
先発隊からの連絡はありませんでした。
 8/9に先発隊が1stQRVしました。1500ごろJN3RBEと5W1IK(QBG)との間で今回のペディの1st
QSOが成立です。QBGさんが、5W1で試験電波をだした時、(というか、まちがってPTTを押してしまった時。)
RBEさんがコールして1stQSOを獲得したそうです。5W1IKはコールどころか、声もだしてないのに、ようわかり
ましたね。呼ばれた方もびっくりしたようです。(RBEさんは絶対に1stQSOすると4時間も無線機の前で待っていたとか。
御苦労様でした。)5W1側は、食事などのため一旦QRXとなりました。(LGCさんはこの1stQSOの話を聞いてから
急いでANTをあげたとか。)1800ころにはJF3LGC,JK3DEVが、以後YAQメンバーがQSOに成功しています。
(私もちゃんとQSOしました。) ここで、現地からRCTさんのFL2100が故障したという通報がはいりました。
(もともとJK3DEV宅で故障してた?)そこで後発隊がDEVさんの所にあったFL2000Bを持って行く事に決定
しました。(このリニアはJA3VPAさんのものです。VPAさんも自分のリニアが5W1までいっているとは思わなかった
でしょう。)さらに、BPFも必要というので、OINさん所から持って行くことになりました。また、リグについては
PLFさんのFT757と現地で借りたFT757でリグは2台ありますが、電源が持っていった1台しか無いので、1波しか
出せないと言う事で、後発隊がスイッチング電源も持って行く事になりました。(少々ノイズがでますが無いよりはましだろうと
言う事で。)後発隊は荷物が少ない楽ちんパターンの予定でしたが、結構、荷物が増えてしまいました。(人数が多いので何とか
なりましたが。)
 8/10の朝、中発隊(DEV,NTS)がCL6DXを持って出発。この日、5W1でANTを建てたので、QRVが可能
周波数は 7,14,18,21,28MHz となりました。
 今回のペディで18/24MHzでの1stJA−5W1を狙っていたQNHさんは、8/10付けで免許がおりQSOに成功。
通常、変更申請は時間がかかりますが、今回のペディに間に合うようにと、電監にかけあったRCTさんたちの努力のおかげで、
18/24MHzがスピード免許となりました。(ちなみにQNHさんは京都クラブの会報を持って行き、私の原稿をみせて説得
したそうです。)その結果、不公平になるからと3エリア以外も含め全国一斉に8/10付けで免許されたそうです。(約2000局)
電監さん、どうもありがとう。ただ、私もNTSさんも申請してたのですが、8/10に免許が郵送されてましたので、間に合い
ませんでした。ですから、KH6で18/24のQRVはダメになりましてた。(結果的には出発の当日に免許が着いていた
ようです。おしい。)
 8/11の朝、後発隊(RCT,RZW,UWB,FJG,TXR,KIB,BUC)がFL2000B、FT767を持って
出発しました。
 この旅行中は、みなさん変な英語はしゃべるし、手荷物検査で無線機はひっかかるわの大騒ぎでした。
 ここから、5W1で合流するまで、先発隊と後発隊の行動が別になります。ここで、後発隊の行動を中心に話を進めます。
中発隊は日程が1日早いだけで後発隊と同じルートですし SYDNEY で合流しますので省略します。
 まず、大阪を11:00発のキャセイで HONGKONG まで。その後 SYDNEY へ。キャセイはビジネスクラスでしたので、
なかなかFBでした。(スチュワーデースも食事も。
だれだ、ワイングラスを持って帰ったは!!)ただ、後ろの日本人のおっさんが完全に宴会パターンをやってまして、
スチュワーデスに嫌がられてました。
 HONGKONG での乗り換えるのに時間があるので、一時出国し観光をしました。まず、ここで最初のトラブルです。UWBさんの
チケットが HONGKONG までしか無い事に気付き、キャセイのカウンタにクレームをつけに行きました。(キャセイのチョンボ
でした。)さらに、空港でトランジットの所へ行ってしまい出られない。またまた、説明して出国のカウンタに誘導してもらいま
した。さて、やっと出られるぞという時、KIBさんのパスポートが1次旅券で HONGKONG が書いてないとの事。KIBさんは出国
できず、そのまま空港に居残りとなりました。この数々のトラブルのなかで、UWBさんが手荷物検査の所にカメラを忘れてしまい
ました。大捜査網を引きましたが出てきませんでした。
 HONKONG ではキャセイのサービスで用意してくれたホテルで休憩してから観光。(なかなか良いホテルだったのに、休憩だけとは
もったいない。)KIBさんがいない事をホテルのフロントでRCTさんが説明。 RCTは言いました、"HE IS ABSENT."
 ホンコンの街は急斜面にたてられた高層ビル、道につきでた看板など、ほとんどジャッキーチェーンの映画にでてくるそのものの
風景でした。あまりり時間も無かったので、バスでちょっと街をまわり、ビクトリアピークに登って帰ってきただけでした。
 夕方で観光は終り、ホテルに夕食がついてたので、夕食。その後、空港に向かいました。空港でUWBさんは忘れたカメラ探しに
再トライ。空港の進入禁止の通路を逆行し(下手したら逮捕されますよ。)、執念で探しだしました。空港での食事券も貰ってました
ので、またまた夕食。
 空港で飛行機を待っていた時、VK2JNさんとアイボールできました。みんなおそろいのコールサイン入りオリジナルTシャツが、
威力を発揮したようで、向こうから声をかけてきました。記念撮影とQSL交換をしました。
 飛行機に乗るなり機内食。真夜中の2時ごろにフルコースディナーを食べました。この日は3回も夕食を食べた事になります。
 機内の夕食のメニューでチキンかビーフかロブスターかと聞きにいたときUBWさんがスチュワーデスに言いました。

UWB "I WANT ROBSTER AND YOU."
SHE "?????"

相手にはわからないようでしたが、私にはわかりましたよ。HI。
 うしろのW(?)のおっさんは夜どおし宴会やってたので、寝られなかった。うとうとしてたら、おこされて、朝食です。
 がんばって、スチュワーデスを口説いていたUWBさん。(UWBさんももマメです。)一緒に写真を撮って住所を教えてもらい
ました。(VS6のおねえさんらしい。)「楠田えりこ」に似ていたので、その説明をしてました。

UWB "YOU LOOK LIKE A ERIKO KUSUDA!"
SHE "????"
UWB "SHE IS A JAPANESE FAMOUS TALENT."
SHE "I AM NOT FAMOUS."

 このあと、UWBさんはQSLカードを渡してコールサインの構成の説明(JAは日本を表して、3はエリアコードで・・・という
ように)を始めていました。
 SYDNEY に直行とおもってましたら、MELBOURNE に降りました。(トランジット)さすがに、南半球は冬なので寒かった。しかし、
そのなかで、RZWさんは半ズボンに半袖シャツで、目立ってました。麻薬取締犬も登場しましたし、VKの婦警さんはきれいでした。  MELBOURNE から SYDNEY へ。空港へは、レンタカーで中発隊が迎えにきてくれていました。WELCOME JARL KYOTO CLUB と
書いたプラカードを持って空港に来たという発想はよかったのですが WELCOME 綴りがまちがっていました。SYDNEY でのホテルが
ビジネスホテルみたいなもので、シャーワーが出にくいとか、暖房が壊れているとか、悲惨なものでした。
 とりあえず、YAQトレーナーを着て観光開始です。レンタカーが1台しか借りられなかったので、荷台も含め9人が乗ってました。
(本当は6人乗り)
 この街では、市内にモノレールが走ってるので1周しました。この日はあんまり時間がなかったので、ちょっと観光して夕食を
食べに行きました。日本料理の居酒屋「しろくろ」という店で、宴会となりました。店員さんも日本人でしたし、外は寒いし、
まるで忘年会の雰囲気でした。ピンサロの呼び込みの兄ちゃんにRCTさんが、追いかけまわされてました。向こうも誰に
声をかければいいか心得ているようです。
 9人乗りで帰る途中、DEVさんが運転していたら白バイのポリさんに発見され止められました。(すこしアルコールもはいって
ました。)そのポリさんは道路で大声で叫ぶので、人だかりができてきました。みんな、英語がわからないふりをしてたら(本当は
ほとんど言ってる事がわかってるのに)、向こうも根負けしたようでオーバー分の人数だけ降りて無事釈放となりました。
 ホテルへ帰って、またまた宴会の始まりです。(つまみがないので皆が飛行機から持って来た機内食の残り物で)この日は
SYDNEY で1泊しました。
 次の日は バジェット クルーズでシドニー湾を船で観光する事から始めました。(琵琶湖のミシガンみたいなものです。)ここでも日本人
ばっかりでした。
 そのあと、シドニータワーにのぼりました。(大阪の通天閣みたいなものです。)あとは特に計画なしの観光です。とりあえず、
電車に乗ってどこかへ行こうと セントラル ターミナル ステーション まで行って、ここで昼食をとりました。飛行機の出発まで時間を計算して、
行いけるとこまで行こうと約1時間ほど電車に乗り QUAKER'S HILL という街に向かいました。(なんでここを選んだかは不明。)
 ついた所が、田舎の無人駅。ふつうはこんなとこ観光客なんかこないのでしょう、街の人が変な目で見ていました。ここで、HLの
おっさんが経営している雑貨屋に入りました。この人いわく、”私は日本人をみるのははじめてだ。”このあたりの人はチャリンコを
もって電車に乗のにはおどろいた。(折りたたむどころか、ホームで乗ってるのですよ。)その後、出発の時間も近づいてきたので、
空港に向かいました。 ジドニー空港で、荷物を預けていた時、なんと荷札の行き先のタグはトンガになっていました。寸前の所で
NTSさんが発見。カウンターのおっさんは大声で笑っていたが我々にとっては、笑いごとちゃいまっせ。
 いままでの飛行機ではOKであった手荷物のリニア(FL2000B)が、ここでついに機内持ち込み持ち込み拒否されました。
(重すぎるため。)荷物室まわしとなりました。FT767は、RZWさんが一人で軽そうな顔をして持っていたので、OKでした。
リニアは持ちにくかったので2人でもっていたのが悪かったようです。以後、リニアは一人で涼しい顔(??)をして持つよう努力しま
した。しかしなんで、リニアって運搬用の取っ手がついていないんでしょうね。ファイナルが死ぬんではないかと飛行機がゆれるたびに
ヒヤヒヤしていました。(ほとんどあきらめの気持ちで)
 サモアまでは、ポリネシアン航空。さすが、ここまで来たらJAは我々だけ。離陸して、ベルトのサインが消えるみんな立ち上がり
宴会がはじまりました。良く見てみると全然知らない人どうしで宴会しています。外人さんはオープンですねえ。YAQ顔まけの
宴会で、この飛行機でも、またまた寝られず。なんで我々の回りではいつも宴会をやってるんでしょう。飛行機は APIA に直通かと
思っていたら、NOUMEA (NEW CALEDONIA) で一旦降りました。(トランジット)。ここも、最近は日本人も多いようで、日本語の
表示が目立ちました。さらに、この飛行機は APIA に到着後、TONGA に行きました。
 なんとか、飛行機は APIA に着きました。 APIA で無線機を持ち込む時のトラブルが予想されていましたが、何も問題なく入国
できました。心配ていたリニアはメーターのパネルがはずれていただけで動作はOKでした。
 こうして、数々のトラブルをクリアし、中発隊と後発隊は SAMOA に到着したのでした。

【先発隊の奮闘】
 この部分は、筆者が替わりまして、JF3PLFが担当します。先月号までのペディションの記事を担当してくれた几帳面な
JH3TXR・さすがの山本さんも、彼は後発隊だったので、先発隊の行動まではわからないわけです。ハイ。

<出発>
 私達がJAを発ったのは8月7日の18:55でした。各局の見送りを受け、重い重い荷物を持った先発隊は、出発ロビーへと
向かったのでした。ロビーでユナイテッド・エア(UA)からいきなり呼び出し。何かいな、と言ってみると「ビジネスクラスで、
オーバーブッキング(過剰予約)があったので席がない。ファーストクラスに変更してもよいか」とのこと。こんなラッキーな
手違いなら大歓迎です。二つ返事でOKしたことは言うまでもありません。何しろ食事はフルコース。メインディッシュも
いくつかのメニューから選択。ワインにシャンペン飲み放題。洗面セットのプレゼント……と言うことないサービスでした。
幸ちゃん曰く「次もファーストクラスがいい」……ごもっとも。

<ハワイにて>
 ハワイには何と、同じ日の朝に到着しました。ねえ、QBGサン、お兄さんがタラップで尻もちついたの、ここでしたっけ?
私がリニアを持ちながら、「こけそうやな、気ぃつけて降りんと」と自分に言い聞かせたとたん、何とQBGサンが落っこちた
のでした。QBGサンもびっくりしたでしょうが、私もびっくりしたのでした。
 さて、入国。ここでちょっとした事件発生。……と言っても、後発隊が経験したような警察屋さんのお世話になるとか、入国
できないとかそういった重大なものではありません。でも、私とQBGは必死でした。『私とQBGが』と書けば、誰が原因の
事件かわかりますよね。はいそうです。児玉さんファミリーなんですよねぇ。ハワイでは一度荷物をピックアップして、通関後、
ハワイアンの荷物カウンターまでもって行かないといけませんでした。私と児玉さんファミリーは、すぐ通関できたんですが、
QBGがなかなか出て来ない。何かトラブルかなーと、私はカウンターのそばで待っていました。後で聞くと、大したことでは
なく、向こうのお役人とJE3QBG・井上君との間で、「何持ってるんだ?」「無線機」「どこの機械だ?」「ヤエス」
「オー、ヤエスはいい機械だ。どれくらいパワー出るの?」「500W!」「すげー」といったやりとりがあったそうです。
問題は児玉さんファミリー。だっていなくなっちゃうんだもん! 出口から出た所で待っててくれるものと思っていた私達が
大変慌てたこと、おわかりでしょうか? あんまり遅いので、他の出口があるんじゃないかと探しに行っておられたらしいの
ですが、QBG氏にお目玉を頂戴し(?)、平謝りの児玉さん、少々気の毒でありました。ハイ……
 さて、気をとりなおしまして、と。アピアへの出発は20:25でしたから、ほとんど1日はハワイで遊べることになります。
さっそくレンタカーを借り、空港からワイキキの町へと向かいます。慣れない左ハンドルの車で右側を走らなければならない
QBGサン、何度か左車線に入ってしまうので、初めのうちは少々恐かったです。
 みんな初めてのハワイ。1日あるといっても、いい加減な観光でした。ダイヤモンドヘッドの周りを一周したり、ショッピング
センターをウロウロしたり、公園のそばのベンチで昼寝をしたり、ほとんど無駄のかたまりでした。私が地図を見て、行こうと
提案したフィッシャーマンズ・ワーフも、シーフードレストランしかなかったり、児玉さんが友達のお土産に……というので
立ち寄ったルイ・ヴィトンのお店も、高い!と、何も買わずに出たり。ま、成果を敢えて見出すならば、@アロハタワーへ行った
A私が無線機の電池を買った店で、ご主人がハムだというオバサンに会ったBもう一度ハワイへ来た時に困らないだけの
土地勘がついた、とまあこんなものでしょうか。
 夕方、ラッシュがあると困るから、と多少早めにワイキキを後にし、空港へ向かった私達。チケットカウンターで、ハワイアン・
エアの実態を見た気がしました。まず、レンタカーのピックアップのおっちゃんの連れて行ってくれたハワイアンのチケット
カウンターでは、さんざん並んだあげく、「ここは国内線だから、国際線のカウンターへ」と言われ(まあ、これは当り前ですが)、
1発目の「ムカッ」。やっと見つけた国際線ロビーのPAGOPAGO/APIAの表示。ところが予定の時刻が迫りつつあるのに
いっこうに手続きがはかどらない。おまけにたくさん楽器を持った人達がいて、これがまたのんびりした人達。2発目の「ムカッ」。
……ホントのところは、私は事前に5W1GW・岩佐さん達からハワイアンのいい加減さを聞いていましたし、また、海外旅行
なんだから日本と違うことくらいいっぱいある、と思ってもいたので、さほどムカッとは来なかったのですが、児玉さんなんか、
相当不満そうでしたヨ。
 やっとのことで飛行機に乗り込んだ私達は、30分以上遅れてアピアへと飛び立ったのでした。

<いよいよサモアへ>
 飛行機はエコノミークラス。ずいぶんハワイまでとは待遇が異なります。乗っている人達も、ポリネシアン系の人が多いみたい
です。私はほとんど寝ていましたから、すぐ着いたように思いますが、起きてビックリは乗った時との機内の違い。きったない、
きったない! あちらのヒトは、自分の食べたカスをそこら中に散らかしておけばいいと思っているようで、ホント、サモアが
心配になったのでした。そういえば、実際サモアでもよくゴミを庭先にほってあるのをよく見かけました。ま、文明の遅れていた
時代はそれでも土に返るからよかったのかも知れませんが、今じゃそうは行かないのにね。
 アピアに着いた私達は、まず入国手続きを済ませました。そして、お金の両替。深夜なのに銀行はオープンします。銀行と言うより、
ただの両替所という感じでしたが。サモアの通貨はサモア・ドル(WS$)で、現地では「タラ」といいます。どれくらい両替すれば
いいのかよくわかりませんでしたから、とりあえず200ドル出すと、440タラくらい、ピラピラのおもちゃみたいなお札をくれ
ました。結果的には現地の物価は極端に安く、9日間の滞在は、ほとんどこれでまかなえました。
 つづいて通関です。この税関ではひともめありました。両替で時間をとってしまい、ほとんど最後に税関に行ったから悪かったん
でしょうね。もう後ろには誰も並んでないし、税関のおっちゃんも余裕のヨッちゃんだったんでしょう。「それ、何?」の問いに
「無線機」と答えたら、なまりのある英語で何やら言ってきます。どうやら、機械の値段に応じて税金か何かを置いてけ、と言って
いるようです。「パーソナル・ユース」だと言い、段ボール箱も開けました。アマチュア無線だとも言いました。でもあちらも強情。
最後には、こちらの英語のよくわからないのが幸いしたようで、ゴニョゴニョ言ってたら何だか「OK」みたいなことを言ってくれ
(ホントのところよくわからない)、こっちも思わず笑顔で「サンキュー!」……。ヘヘヘヘ、税関を通ってしまいました。

<ホテルに着くまで>
 空港を出ると、すぐに体のゴツい兄ちゃんが寄って来ます。日本で言うならタクシーの整理員といったところでしょうか。私は、
相手がタクシーを勧めるのに、わずかの予備知識を駆使して、マイクロバスに乗りたいと言いました。安いからです。そんなのない、
と言われ、タクシーに乗ることにしたのですが、私達は初めての土地で、大変警戒していたのでした。ボラレルんじゃないか、と。
結果的に言うと、そんな心配は無用だったようで、結構あれで紳士的な営業をしているようでした。旅行書なんかに「料金の交渉は、
乗る前にしておけ」とあったので「20タラでどう?」と私。先方はすぐOKをくれたのでした。「1台で全部載るの?」と荷物を
心配する私達に、ルーフキャリアを指さし、さっさと積み込み始める運転手。20タラと言えば日本円では1300円程度。
これで重い荷物をたくさん積み、おまけに5人も乗せて30キロほどはなれた町まで行ってもらうのですから、ちょっと悪い気が
しました。
 走り始めると道には街灯も少なく、ほとんど真っ暗。車窓から外を見た私はまず大感激したのでした。満天の星、星、星!
私が今までに見たこともない数の星が、空一面に輝いています。日本のちょっと空気のきれいなところでだってあまりきれいには
見えない天の川も、ホントにしっかりあるのです。これだけ見ただけでも、遠いサモアの地へはるばるやって来た甲斐があったと
思いました。
 車窓からは異様な光景も見えました。夜の道端に、犬がそれはもう、たくさんうろついているのです。車のヘッドライトの光を
反射し、目ばかりがこっちを見ています。これはあまり気持ちのいいものではありませんでした。後になってわかったことですが、
ここサモアでは、犬に限らず、ネコ、ブタ、ニワトリなどの動物が、道を歩き回っているのは何らおかしなことではなかったのでした。
 タクシーは、走り続けます。この運転手の運転は、大したものです。サモアの道は、舗装が痛み、凹凸が至るところにあるのですが、
運転手は、凹凸のあるところをほとんど知っていると見えて、必ずその手前では減速してくれます。車は古く、サスペンションなんか
もへたっていると思うのですが、その割に乗り心地の悪さを感じないのは、こうしたウマい運転のせいだったのでしょう。
 さて、1時間はかからなかったと思いますが、かなり長い時間かけ、タクシーはアピアの町に入りました。アピアは首都なんですが
「サモアには、国内に1箇所も交通信号はない」という話からも分かる通り、小さな町です。海岸沿いの時計台のある通りをしばらく
走り、右に折れると間もなく目指すオリビア−アコモデーションです。タクシーをしばらく待たせ、言われていた通り、オフィスの
ベルを押しました。余談ですが、私は一つ、ある心配をしていました。それは、ここの予約を5W1FD・大滝さんに(5W1GP・
山崎さん経由で)お願いした時、時差を考慮して日付を言っておいただろうか、ということです。もしかミスして、9日に着くことに
なっていたら、1日はどこか他で過ごさないといけなくなるかも……なーんて。その心配は、要らぬ心配であったことがすぐにわかり
ました。奥からパジャマ姿のお姉さんが出て来て、開口一番、「大滝さんの言ってた日本人やろ?」と言ってくれたからです。
そのお姉さんは、私達を敷地の奥に建っているユニット(まあ、1軒の家です)に案内し、部屋を一通り説明すると「後は夜が
明けたらオフィスに来て」と言って出て行きました。タクシーには、重い荷物を運んでくれたことととウマい運転とに感謝して、
最初言った倍の40タラ払って帰ってもらいました。私達に、ようやく落ち着く所ができたわけです。何だかんだとややこしいことは
夜が明けてからにして、特に私は「この部屋に決ーめた」と言うが早いか1台しかない扇風機を自分の部屋に取り込んで、ガーガーと
眠りについたのでした。でも、悪く思わないで下さい。私の部屋は、外に面した窓のあり、日の当たるQBGの部屋、OFXファミリー
の部屋とちがって、北向きで内陸(?)のジメっとした部屋だったんですから……。

【先発隊運用開始】
<5W1GW・岩佐さん現る>
 この日(8日)だけで岩佐さんは3回くらい、オリビアに来てくれたのではなかったでしょうか。機材に関して無茶苦茶お世話に
なったのが、この5W1GW・岩佐さんなのです。彼は、RADIO WORK SHOP というところで働く、通信の専門家で、初登場の際には
何と、NTTのTシャツ(OINさんがよく着てるヤツ)を着ての登場でした。初日彼がオフィスの同僚(現地のごっつい兄ちゃん
達です)といっしょに持ってきてくれたものは、アンテナ一式、それに5W1GP・山崎さんの置いて行かれたたくさんの機材
でした。その後も、例えば、12VのDC電源が足りないと言えばJOCV(青年海外協力隊)のオフィスから持ってきて下さるし、
240Vのテーブルタップがないと言えばそれも……。ホントに私達にとっては神様のような存在なのでした。RTTY用の
コンピューターも岩佐さんから借りたし。
 8日、岩佐さんに連れて行ってもらったところがあります。それは、写真屋と陸運事務所(?)。私達がレンタカーを借りたいと
言うもので、案内してくれたのです。彼には北海道からの知人が来ていて、その人達も免許を取るからついでに、ということでした。
写真屋さんは、色のおかしなカラー写真を撮ってくれました。それを持って運転免許の申請に行くと、ホントに適当な確認でその場で
免許を発行してくれました。免許には写真なんか貼ってなくて、しかも領収書を兼ねてる。その領収書の金額を間違えたら
グチュグチュっとボールペンで消して、書き直しておしまい! この国のおおざっぱなところを早くも見た気がしました。
岩佐さんから、運転に関して注意されたことがいくつか。
その1・この国には犬やブタが道をうろうろしているので、ひかないように。その2・夜はあまり車を運転しない方がいい。なぜなら、
石を投げつけられるから。なぜ石を投げるか、については定かでないのですが、自動車を買えない人のひがみだとか。椰子に石を
投げて実を落とすようなことは日常茶飯事なので、石を投げることに関しては、この国の人は、天才的らしいです。ところで、歩いて
いる側の注意も一つ。サモアでは車優先なのです。ひかれないように、とのことでした。

<アンテナを建てる>
さて、正直言って免許はまだもらっていません。しかし、岩佐さんはオンエアしても差し支えないと言います。さあ私達は考えました。
日本の常識から言うと、手元に「免許状」なる紙切れがないままで運用することは、違法行為にほかなりません。然るにここは異国・
サモア。「コールサインも事前に私が伝えた通りで間違いないですから」との岩佐さんの言葉に、私達は「紙切れ」なしでの運用を
決意したのでした。結果的に、これは正しかったようで、私達が現地の郵政担当官から「紙切れ」(失礼。この国の免許状は厚紙の
賞状風のFBなものでした)をもらったのは、現地を発つ前々日。免許状には、ちゃんと私達が到着した日の日付が発行年月日として
記載され、担当官本人と握手まで交わしてきたのですから、私達の見切り発車を日本の常識をもって「違法」と決めつけることは、
誰にもできないでしょう。岩佐さんは、現地の郵政の仕事を、真正直に待っていたのではいつになるか知れないという事情を熟知した
上で、私達にオンエアを勧めて下さったのでした。
 そんなこんなで、岩佐さんが仕事に戻られるが早いか、私達は何とかオンエアしようと、アンテナを組み始めたのでした。まず、
ともかくQRVを、と最初に張ったのは、7MHzのDPだったと記憶しています。石を投げ、木の枝に引っかける、という超原始的な
方法でした。このアンテナで、21MHzで初めて電波を発射したところ、まだコールサインも言わないうちにJN3RBE・中山さんが
呼んでこられた、と言うのは有名な話です。この日はこれだけ。何しろ、あちらの日差しはきついのです。QBGなんか、昼間の
日差しをイヤがって、さっちゃん連れてすぐ、どっかへ出て行ってしまうんだから……。
 あくる日(9日)は、がんばりましたよ。バターナットの2V、18、24のDP、3エレのトライバンダーまで、上げました。
2VやDPは比較的簡単に上がったのですが、大変だったのが3エレ。組んだまではよかったものの、それから6mものの鉄パイプの
先端にセットして、それを立ち木に立てかけようというのです。QBG、PLF、OFX、さっちゃんの4人がかりでロープをつけて
引っ張ったり木の根元が掘れないようにバナナの葉っぱを敷いたりしましたが、苦闘! やがて、隣りのユニットに住んでいた
(泊まっていた)オーストラリア人のおじさんや、ちょうど帰ってきたオリビアのお姉さんまでが手伝ってくれ、ようやく上げる
ことが出来ました。感謝、感謝。
 ほとんど良好だったアンテナ群のうち、唯一言うことを聞いてくれなかったのが、バターナットの2V。あんまり調整しても聞かない
もんだから、私達は早々に2V君は下ろしてしまいました。その代わり、私達には春にペディションをした大阪電通大のグループの
残して行った6Vという強い見方がいたのです。最初、6Vはパーツが多くて複雑なので敬遠していたのですが、意外と、2Vよりも
ずっと調整がうまく行き、その後の運用にも多大な貢献をしてくれることになりました。3.5、7、10MHzにおいて、SWRは1!
すばらしい状態でした。ハイバンドはビームがあったので、そう必死には調整しませんでした。ただ、せっかくOFXさんに無理を
言って取り寄せてもらった18、24用のオプショナルキットがうまく働かなかったのが少し残念でした。なぜうまく行かなかったか、
定かではありませんが、察するところ、組立説明図に少々不備があったのではないかと思います。
 ともかく、先発隊の重要な任務である「全てのバンドにQRVする手はずを整える」という作業は、どうにか完了しました。
50MHzについては、現地にあったビームがマスプロの4エレという貧弱なものだったため(貸してもらう立場で文句は
言えませんが)、後発隊が来るまでオンエアはお預けすることにしました。さあ、これで私達先発隊の、心おきない楽園の日々が
始まるのです。

<オペレーション>
 いよいよ私達のペディションの本格的な幕開けとなる訳ですが、あぁ、しかし、そうスムーズには行くものじゃありませんね。
まず最初のトラブルは、FL−2100Zの故障。飛行機に乗る際も、大事にだっこをし、機内でも床にちょこんと座らせておいた
はずなのに、いざ電源を入れ、送信しようとすると「ブーン」とすごい音。トランスが悪いのか、リレーか、はたまたケミコンか。
あーあ、2波出すのに、1波は100Wにしなければ……。そんな心配は要らぬとばかり、第二のトラブル。山崎さんが残して
行ってくれた電源のうち、100Wのリグを働かせるのに十分な電源が1つもない。どれも757を接続し、送信すると、デジタル
表示が全く消滅してしまうのです。2波どころじゃありません。岩佐さんに話してJOCVのオフィスのを借り、何とかなり
ましたが、しかし、今度はRCTのFP−757まで故障し、もう一台電源を借りる事態も後日発生しました。HI……。
 まあ、ペディションにおけるこんなトラブル、本当はトラブルのうちには入らないでしょう。到着したその日から、曲がりなりにも
電波が出たのですから。21では世界各国に大サービス。うじゃうじゃ局が涌いてきます。私など、最初の2日間だけで、ログ
(1冊1000局)を半分以上、21で埋めてしまったぐらいです。7ではアメリカのパイル! スプリットでやってると、
DXネットによるリストQSOまで登場する盛況ぶり。18、24にも局はいるんですね。呼んでくる、呼んでくる。もっとも、1st
QSOはいつの日にも我が京都クラブ会長・JH3QNH・山下氏……という感じでしたけどね。
 SSB/CWのサービスが軌道に乗り、余裕が出てきたので、私はRTTYにも挑戦してみることにしました。機械は、θ−777と
PC−9801LT。私にとってはどちらも初体験の機械です。でも、山崎さんが必要なケーブルは、全て777の方に接続して下さって
いたので接続上の困難はありませんでした。最も困ったのは通信ソフトです。C−TERMとかいうターミナルソフトのフロッピーは
あったので、その立ち上げまではできるんですが、そのソフトの使い方がわからない。ついに私は、C−TERMを諦め、
TERM "COM:N81X",F とかいう命令文を使って、98は単にターミナルとしてのみ使用することにし、何とか運用にこぎつけました。
そんないい加減な運用でも、呼んでくること! 皆さんはRTTYのパイルって聞いたこと、ありますか? すごいですよ。
しかしながら、こればっかりはSSBやCWと違って、自分でコールを聞き取ったりはできませんから、機械が呼んでいる局の
コールの一部分でも解読してくれるのを、ただ待つのみなのです。HI……。驚いたのが、山崎さんの有名なこと。山崎さんを
知っている局がかなり呼んで来ました。その山崎さんも、RTTYは少々サボっておられたそうで(後で聞いた話)、アメリカの
局なんかは、私に対し、しきりに "YOU ARE AGREAT OPERATOR!" なーんて打って来てくれるのでした。
 ところで、ここらでJF3PLF−1から、先発隊のQRVのRPTを拾ってみることにしましょう。これを見れば、いかに
QNHさんが私達のことをよく追っかけて下さっていたかが、とてよくわかるでしょう。もちろん、それは、QNHさんが
18/24などでJA−5W間の1st everを狙っておられたことにもよるのでですが、それだけではなく、今回の
ペディションのJAサイドの連絡役として、安否を気遣い、情報のやりとりにも精力を注いで下さっていたことの証しでもあります。
私達は、彼の心配りに、心から感謝の言葉を送りたいと思います。あと、RPTは下さっていませんが、後発隊のJH3TXR・
山本さんや、信州へわざわざリグを持って行ったJF3LGC・馬淵さん達も、それから数多くの他の京都の局も、私達を
呼んで下さったことを忘れることはできません。(RPT 時間は現地時間)

8   5W1IK       1848  21295  SSB     JN3RBE
8   5W1IK       2322  21295  SSB     JH3QNH 
9   5W1IL       0044  21021  CW      JH3QNH 
9   5W1IJ       0306  21295  SSB     JH3QNH 
9   5W1IK       2319  21297  SSB     JE3CHA 
10   5W1IL       0124  18130  CW      JH3QNH 
10   5W1IL       0133  18130  SSB     JH3QNH 
10   5W1IL       0139  14251  SSB     JH3QNH
10   5W1IJ       2306  21298  SSB     JH3QNH 
10   5W1IL       2315   7007  CW      JH3QNH 
11   5W1IK       0125  24903  CW      JH3QNH 
11   5W1IK       0128  24950  SSB     JH3QNH 
11   5W1IL       0150  10107  CW      JH3QNH 
13   5W1IJ       0106  21296  SSB     JE3CHA

【サモアでの生活】
 私達は、確かにDXペディションをしにサモアへ行った訳ですが、せっかくあそこまで行って、ペディだけ、という旅行では
なかったので、無線以外のことも記しておきたいと思います。
 11日だったと思うのですが、私達はレンタカーを駆り、アピアとは反対側の海岸まで泳ぎに行きました。アピアの町の、もう通い
慣れたスーパーマーケットや市場で食料を買い込み、峠道を越えます。歩き回るブタ、ニワトリ。道路を突然横切るキウイのような鳥。
道の両側に生えている、見たこともないような巨大な木。ココナッツ畑。集落の子供達。「ファレ」と呼ばれる簡素な住まい。どれも
これもが新鮮で、来てよかったという気持ちにさせてくれます。ことに、峠を越えた辺りから見え始めるコバルトブルーの海! 
これは何とも言えず、絶品です。私達は、紛れもなく、あの海で泳げるのですから、何と幸せなことでしょう。OFX−3のゆうき君は、
海が恐くて泣くのですが私達にとってはまさに楽園の気分でした。
 他に、後発隊が来るまでに行った所と言えば、チャイニーズレストラン、郵便局、トギトギガの滝、近所の食料品店、メイン
ストリートのみやげ物店……。部屋にいる時は無線にビール。あ、そうそう、ビールと言えば、「バイリマ」という銘柄のビールが
あって、これがまたうまいんですわ。あーぁ、もう、住みついちゃいそう……、そんな感じの毎日だったのです。


<5W1FD・大滝さん>
 今まで登場しませんでしたが、大滝さんは、この国にいる日本人の中では古い方に入る方ではないでしょうか。私達の宿泊先である
「オリビア・ツーリスト・アコモデーション」を世話して下さった方です。ある日、オリビアにいる私達を訪ねて下さったばかりか、
こんなお誘いまで下さったのです。「いい魚が手に入ったので、食べに来ませんか」……。私達は、喜んでお招きにあずかりました。
XYLの牧さん(5W1GU)と共に迎えて下さった食卓には、本当にすばらしい料理が! 私は生まれて初めて、鯛の「目」なる
ものを食べてしまったのです。私はそれをしゃぶった後、大事にティッシュにつつみ、記念に持ち帰ったはずなのですが、なぜか、
それはもうなくなってしまいました。ハハハハ……。
 大滝さんは、漁業省の仕事をしておられ、政府の官舎に住んでおられます。すごく広い敷地で、マンゴーの木が生え、犬が何匹も
放し飼いにされ、タワーにはFBなアンテナが。思わずいいなぁーと、ため息をついてしまうようなお住まいなのでした。

<部屋を替わる>
 いつだったでしょうか。私達の快適に暮らしているユニットに、ある朝メイドさんのようなおばさんが来て「オフィスで呼んでるよ」
と言うのです。言ってみると、「部屋を替われ」と。他の客があるそうで、そっちを優先するようなことを言っています。ヤだとは
思いながら、よく英語がわからず、ま、とにかく部屋は替わることになってしまいました。今までの部屋と比べると月とすっぽんです。
バスルームはまるでおトイレみたい。電気の配線は細い細いIV線。でも後発隊が来たら代わってもらおう、と諦めました。しかし、
それにしても、引っ越しは大変だったなぁ。何しろ、たくさんの無線機材を全部運ばないといけないし、おまけにアンテナ用の同軸まで
引き直さないといけないのですから。ま、私達はDXペディの一行。無線さえ出来ればどこでもいいんですけど。それから、冷蔵庫は、
前の部屋のよりよく冷えまして「バイリマ」は、ますますうまく飲めました。ハイ。


<後発隊到着!>
 楽園の日々は早く過ぎます。「寝て起きると後発隊が来る」という日がやって来ました。朝、起きた私達は飛行場へと向かいます。
その日は日曜日だったので、道が煙で白く見えます。……というのは、この島では、日曜日にウム料理と言って、蒸し焼き風の
料理を朝から男達が作る日になっているからです。そのため、土曜日の夕方頃には、町のあちこちからブタが締め殺される声が響き
わたります。アーメン……。
 ま、そういう道を通り、飛行場まで来た私達の目の前を一機の飛行機が。これこそ、後発隊の乗った飛行機だったのです。飛行機
からは、あの懐かしい顔、顔、顔。太平洋を西から回って来たグループと、どまん中を飛んで来たグループが、今、太平洋のまん中で
再会したのです。これからはTXRさんの知ってる世界になりますから、再び筆をTXRさんにお渡しし、私の原稿を終わることに
しましょう。

【後発隊の参加】
 ここまでは、JF3PLFさんに先発隊の様子をまとめてもらいました。ここから、再び、JH3TXRが書かせてもらいます。我々後発隊と
中発隊が>サモアに着いて、先発隊と感激の再会をした場面から始まります。なお、PLFさんの説明と内容が一部ダブりますが、
お許しください。

<後発隊1日目>
 先発隊と中発隊がなんとかアピアに到着しました。空港まで先発隊が、お出迎えに来てくれました。まず、お金がないので空港の
銀行で両替です。銀行といっても空港内に土産物屋と一緒にならんでる程度のものですが。サモアのお札はなかなか使いこんで
まして、シワだらけです。US$だけでなく¥も両替できるようです。また、コインはめずらしく7角形のもありました。
 さて、空港からホテルに向かいます。先発隊の借りていた レンタカー(ピカピカのヒュンダイ車でした。)は1台だけでしたので、
タクシーをひらいます。タクシーは暴走族みないな走りかたをするし、カーステレオやクラクションはガンガンならしてます。日本とおお違い。空港で
ごちゃごちゃしている間にタクシーをつかまえたものですから、2台でいいのに3台に乗る始末で、余分にお金かかってしまい
ました。街中を走ってる車はかなりの年代もんです。(JAの車もあります。)タクシーにもクーラーはありません。
 ちなみに車の ナンバープレート はシンプルでタクシーはTからはじまり、レンタカー はRからはじまりますのですぐにわかります。(例えば、
[T123」、「R123」)
 国教はキリスト教と憲法できめられています。(ただし、同時に信教の自由も保証されている。)ですから、街を走っていると
教会が目につきます。ちょうど、この日が日曜日でしたので教会に行く人々を多くみかけました。
 ホテルは全部で10数人がとまれるようなところ。ホテルといっても日本でいうコテージのような感じで、トイレとシャワーは付いています。
キッチンがあり、自炊生活です。全部で4棟あるうち3棟を借りてありました。これらの建物のうち、一つは壁の色がハデなもので
ありましたので、我々はサーカス小屋と呼んでました。これらの建物に囲まれるように、中央に広い庭があります。ここに先発隊が
ANTを上げておいてくれました。
 5W1GWさんに手配していただいた電源のおかげで、後発隊の分も含め、全てのリグが使用可能になりましたので、各部屋に、
HF2台(FT757+リニア,FT767)、HF1台(FT757+リニア)、6m1台(FT690+リニア25W)を設置しました。リグを置くためのテーブルやシャックなど
部屋にありませんので、キッチンをシャックにし、キッチンテーブルにリグを置いてました。ですから、キッチンから ON AIR してたことになります。
 5W1の免許を手にしたが賞状のようで非常にFBです。JAみたいにちゃちと違います。有効期限は1年間ですので、来年、
再免許申請にいきましょうか?全員、最高クラスの CLASS 1(日本でいう1アマかな?)の免許が与えられました。CLASS 1 は
ALL WESTERN SAMOA AMATEUR BAND となっています。あと、CLASS 2 は160m,80m,50MHz以上のみ、CLASS 3 は50MHz
以上のみとなっています。サモアでも第3者通信やフォーンパッチもダメなようです。
 まず、後発隊が持っていった6mANTの組み立てを始めました。このアンテナ(CL6DX)の組み立ては難しくないので、すぐに組めます。
えいっとあげて、後発隊がもっていった電源をリグにつないで準備完了。あとは50MHzがオープンするのを待つだけです。ビーコンは
出し続けてました。
 お昼はJR3OFX&JE3BUC特製「おにぎり」です。ただ、これだけで終るメンバーではありません。当然のことながらビールで宴会が
はじまります。前に、JF3PLFさんが書いていたようにサモアにはバイリマというビールがありこれがまたうまい!!(ドイツ領時代に伝わっ
たとのことです)
 また、ホテルの前のガソリンスタンドでビールを売っているので便利でした。(このあたりのガソリンスタンドは雑貨屋を兼ねています。)
滞在中はビールばっかり飲んでましたから、この店も随分と売上があがったことでしょう。
 私はしばらくして21MHzにQRVしました。JH3QNHさん、JA3OINさんたちとQSOできました。さらに、JF3LGC/0とQSO。なんと、
彼は0エリアにテニスにいくのにANTとリグを持っていったとか。なかなか気合がはいってます。
 CQをだしていたら、5W1FDさんから呼んで頂きました。「午後からヨットに乗りに行かないか」とお誘いをうけJF3PLF,JK3DEV,
JR3OFX+2はヨットハーバーへ、JA3RCT,JE3BUC,JR3KIBはヨットレースを見学にいきました。
 夕食は旨いもん食べにいこうとシーフードレストランに行きました。店内も奇麗で高級レストランなのでしょう。もちろん、いつもの宴会
パターンでロブスターをおもいっきり食べました。特にロブスターのスープはおいしかった。どんなもん食べさせられるか正直いって心配でした。
しかし、これは余計な心配だったようで、あっさりした味で、結構、日本人にあう味でした。
 この店で、横にいたDL8UWという局が声をかけてきました。
  「Mr.ヤマザキはいるか?」
 どうもサモアにいったら5W1GPさんの所に行けと教えられてきたようです。5W1GPさんは帰ったと伝え、我々のホテルのQTHを
教えておきました。
 帰りにレストランのとなりのピザ屋でピザを買って帰りました。この店は夜はスナックになるようです。ピザができるまで暇でしたので、
またまたJA3RCTさんたちとビールを飲んでました。ここのピザもなかなか旨かったです。後で聞いたのですがこのピザ屋のおかま(?)
の兄ちゃんにJF3PLFさんが大変気に入られたようで、握手したらピザを値引きしてくれたとか。
 さあ、食事も終りホテルに帰って本格的に運用開始し交代でオペレートです。2波の同時発射は出来るのですが、周波数によっては
互いにかぶるので難しく、運用バンドを考えながらやらなければなりませんでした。
 だれかがCQをだすと、JAからのパイルになります。(というか、日本語でQSOしているのでDXからは呼ぶタイミングがわからないの
でしょう。)JAからのパイルがひととおり収まってオペレーターが交代すると、またまたパイルがはじまります。(要するに同じ局が呼んで
くる。)JH3FJGさんいわく、「これはパイルを10倍楽しむ方法だ。」
 どうも、JAでは全部とQSOしたら商品がでる(?)という噂が広まってたようで、JAではこちらの参加者リストでチェックしながらワッチ
していた人が多かったとか・・
 いつもパイルは呼ぶ方だったのが、呼ばれる立場になってパイルに勝つためにはやっぱりパワーとタイミングというのがよくわかりました。
同じ位の強さでワッと呼ばれると全然とれませんでしたし、パイルを少しずらしてタイミング良く呼ばれればとれます。ちなみに、CWの
名人JA3UWBさんもCWのパイルに苦労していました。
 我々の普段の行いが良いせいか、この日の夜、天のめぐみで50MHzで5W1-JA間がオープンしました。(JSTで8/14の18:00-19:30頃)
この間に5W1IK,5W1IEがオペレートし、80局ほどとQSOできました。この中にJN3RBEさんも入っています。中山さんはここ1発に強い!
 今回の目玉商品の一つでした NEW BAND も運用しました。前日はヨーロッパあたりがひらけたとかで先発隊はたくさんできたよう
です。しかし、18/24MHzのANTはダイポールだった事もありの飛びは今ひとつ。JAがなんとか、聞こえる程度でした。JA側も免許きた
のでとりあえずダイポールを上げておこうという局が多かったからかもしれません。
 しかし、JAで免許がおりたおかげで、JAから呼んでもらえるのは嬉しかったです。今日、ANTあげたばかりだとか、免許きた
ばかりでとりあえずCQだしたとかと言ってた人が多かったです。1st QSO がDXだと喜んでくれた人もいました。
 こちらも、今まで出た事もない(ワッチもしたこともない)バンドだったんて、どこにでたら良いのかもわからず、JARLの
バンドプランを見ながらやってました。HI
 気がつくと、JI3NTSさんが14MHzでWのパイルを浴びてたようです。
 しかし、本当にやりましたよ「オンリーJA!!」とか「オンリー京都!!」というやつ。DXからひんしゅくを買って
いるかもしれませんが・・。このおかげで、京都の方でQSO出来た方も多かったとか聞いてますので、やったかいが
あったと思います。いつも京都でQSOしてもらっているローカルの方から呼んで頂くのは非常に嬉しく思いました。
 サモアではニワトリが夜中でも鳴くことに気がつきました。ここのニワトリは木の枝に止まっているそうです。もしかして、
空を飛べるのでしょうか?
 サモアと日本は時間こそ4時間の差ですが、日付けがちがいます。おまけに無線はUTCでやってますから、
時間の感覚がマヒしていました。いつ寝たか憶えていません。


<後発隊2日目>
 昨日の夜の経験から、ローバンドの飛びがよくないことがわかりましたので、朝から全てのリグとアンテナを再整備しました。
3.5MHzもバターナットでは今ひとつ飛ばなかったので、ダイポールを張ったりリグの組み合せを代えたりしました。
 この頃、手続きが遅れていたJE3BUCさんは5W1ITで免許される見通しであるという知らせが入りました。予想では
5W1IOだと思っていたのですが、ちょっとの間に5局も免許されていたようで、この5局もJAからやってきた8エリアの
グループだそうです。  午後から一部のメンバーは、パラタダイスビーチに泳ぎに行きました。車の台数の関係で、全員で一緒に
行けないので、私は残って無線するほうを選びました。(JA3UWB,JR3OFXと共に)
 リグの取り合いにならないので、好きなだけ無線ができると思っていたのですが、この日はデーリンジャー現象で
なんにも聞こえない。しかたなく、向こうの部屋でCQを出しているJR3OFXさんと21MHzでQSOしたり(それもリニアを
たいて)、御近所の3D2やKH0とQSOしたのみとなりました。KH0でもJAが入感しないといってました。する事がないので、
ビール飲んで昼寝してました。
 この日、JA3RCTさんが5W1の電監に表敬訪問に行きました。今までずっと原住民になりきって裸だったJA3RCTさんも
この時はスーツに着替えて行きました。HI(まるで昨年の網野での支部大会のJH3QNHさんのようなものです。)
 夕食は幾つかのグループに別れて行動しました。私は中華料理グループに参加しました。店は日本ででいう中華料理店の
雰囲気はほとんどなく、店員さんは タンパン に Tシャツ の現地のお兄さん(チャイニーズドレスを着たお姉さんを期待して
いたのですが。)、BGMはポヒュラーという中華料理店もめずらしい。唯一、壁にに中国らしい物がかってたのが、中華
料理屋の雰囲気を出してました。材料は日本と少しちがいますが、味付けは普通の中華料理でFBでした。しかし、
この量の多いこと。食べきれないので、残った分は持ち帰りにしました。
 ホテルに戻って、2日目の夜の ON AIR です。夜になってなんとかコンディションも回復してきました。前日と同じく交代で
運用です。パイルを楽しんでました。
 昨日、シーフードレストランで知り合ったDLの局が見学にきました。記念撮影をして、JF3PLFさんがなんだかんだと説明
してました。
 この日、JE3BUCさんが最初で最後の5W1ITのQRVをしました。QSOした相手はJH3QNH,JN3RBEの2局のみでした。JAでは
幻のITと呼ばれていたとか。
 あちこちからのリクエストにお答えしてJF3PLF先生のRTTYの運用です。あっと言う間に、14MHzのRTTYは大パイルになって
ました。このRTTYのバイルもまた面白い。ディスプレイにでてくる文字を見てコーメサインらしいのをみつけるんですから。まぁ、
パイルになってもパイルをさばくのは機械ですし、回りでみんなでわいわい言いながらQSOしてました。それをさばく
JF3PLFさんもさすがでした。(JF3PLF先生のタイピングがめっちゃ早い。)私はRTTYの運用風景をはじめて見ました。
色々と、リクエストしてくる局があり、1.9MHzを何度もトライしたようですが、ダメでした。(夜中にANTを張り直したり
したんですけど)
 この日、みなさんは昼間の疲れが出たのか、早めにおやすみでした。(ここで昼寝のメリットが出てきました。)
私は夜中まで14MHzでQRVしWのパイルを受けました。QSOの合間にW どうしが「QSLはJA3RCTだ」などQSL INFOの交換をやってたのも聞けました。その中でポツリポツリJAがらのコールがあり、J
N3RBEさん,JH3BJNさんをピックアップしたのはさすがでしょ。この頃には、我々の情報もJA中にひろまってたらしく(?)、
「3.5MHzでてください」とか「5W1IIさんと5W1ITさんはいつ出てこられるんですか」などのリクエストや質問が
とびかってました。それも7エリアなど、京都クラブ関係なしにです。
 JA3UWBさんは、7、14MHzでCWを朝までやっていたようです。(いやー、いつもの事ながらこの人の元気には感心します。)
JA3UWBさんは7MHzもやってましたが、7MHzはちょうどHLのコンテストで、JAではバンド中がQRMだらけだったようで、
CQだしてもなかなか応答なかったようです。

<後発隊3日目>
 この日は5W1最終日でしたので、泳ぎ組とゴルフ組に別れてDXバケーションしてました。私は前日に泳ぎに行かな
かったので泳ぎ組に参加行しました。(JR3OFX+2,JF3PLF,JE3QBG,JH3TXR) 行った海岸は先日のメンバーが
行ったパラダイスビ-チという所です。ここは1952年、ゲーリークーパーが主演しした映画「楽園に帰れ
Return to Paradise」のロケ地となった所です。この海岸に入るのに入場料(\300ほどだったと思う。)
が必要です。しかし、奇麗な海岸が貸し切り状態でしたので、安いものです。海は完全に透明で熱帯魚が
泳いでいます、波の音や風の音以外が聞こえない、こんな奇麗な場所ははじめてです。
 ゴルフ組に参加したのはJA3UWB,JR3KIB,JK3DEV。(JA3UWBさんは昨日の夜は徹夜でQRVしてたのにすごいパワーです。)
ここらのゴルフ場はタンパンにサンダルでゴルフしています。日本みたいにかたぐるしくない。さらに、4番ホール(137m)で
JR3KIBさんがホールインワンをしました。ゴルフ場の従業員いわく、
  「このゴルフ場で日本人のホールインワンははじめてだ。」
 昼すぎから撤収です。ちょうど、28MHzが開けてきたので、ぎりぎりまでJA3UWBさんがサービスしてました。
撤収の時に取った写真が、後ろに6mの6エレ持ち上げて全員ならんでいるものです。(5W1ID・5W1IE・5W1ITの
QSLカードです。)
 借りた器材をまとめ、5W1GPさんに返す物はJAにもって帰り、持って行った6mの6エレやダイポール
や同軸などは荷物になるので、現地においてきました。今度、ペディに行った人に使っていただけるでしょう。
ハワイではロングワイヤーぐらいしかはれないでしょうから、最低限の荷物だけにしました。
 夜まで時間がありますから、自由行動です。私は街へ買い物と見物です。JR3OFXさん(+2を含む)とJE3BUCさんと
一緒に行ったものですから、買い物に時間がかかります。(女性の買い物に付き合うのは疲れます。HI)
 この街の店は16:30にすべて閉ります。この2人は閉りかけている店に無理やり入り、土産を買い物してました。
 夜まで暇だから無線しようと、暗やみの中でJA3RCTさんとJA3UWBさんが再び18MHzのダイポールをたてはじめて、
数局とQSOできました。ほんまのぎりぎりまで無線やってましたね。
 夕食は5W1FDさん宅に御招待いただきました。それも5W1FDさんのお迎え付きで。
 5W1FDさん宅では現地の方が作ってくださった本物のサモア料理をごちそうになりました。中でもブタの丸焼きがみごと
でした。こちらでブタの丸焼きなどというのは最高級の料理です。耳がうまいと聞いて、挑戦していたのはだれでしたっけ?
 5W1FDさんのシャックもみせていただき、JA3RCTさんがQRV。JA3BAGさんからコールがありました。JA3RCTさをはすでに酔っぱ
らってまして、わけのわからない会話をしてました。
 5W1FDさん宅を失礼して、ホテルに戻りました。明け方の4時発の飛行機なので、夜中の1時にバスに迎えにきてもらうと
いうことでしたので、自分の荷造りをし仮眠しまた。
 夜中の1時にいざ出発という時、飛行機がキャンセルという連絡がはいりました。キャンセルと言ったので、
「えっ、日本にかえれない」という不安と、「もう1週間いられる」という期待とまざりあっていました。
 しかし、よく聞いてみると、飛行機が予定より遅れるとの事でしたので、明け方までもう1度仮眠しました。
 やっと明け方に、お迎えのマイクロバス(乗り合いタクシー)が来ました。このバスは、空港までにあっちこっちのホテルに
寄って客を乗せたり、バスを乗り換えたりで暇がかかり、空港に着いた時には完全に夜があけてました。(サモアの
夜明けもきれいでした。)
 このバスのカーステレオで流れていた音楽(マーチの曲のオムニバスのテープ)が妙に印象強く耳についてました。サモアのお金が
あまってたので、JA3RCTさんはバスの運転手からそのテープを無理やり買いました。このテープは我々の間で、
サモアミュージックといって日本に帰って、みんながコピーしました。(みなさん、日本のモービルで聞ききながら走ってる
そうです。)
 空港で時間があったので、買い物。空港の売店といっても キオスク みたいな所です。サモアドルは持って帰っても
しかたないので、Tシャッなどを買いました。
 空港内の待合室で外の飛行機を見ていて気がつきました。普通、飛行機には航空会社の名前がはいっています。
ところが、POLYNESIAN AIR の飛行機の裏(反対側)は COOK ISLANDS INTERNATIONAL と書いてあります。あんなの
はじめてみました。2社で共同て飛行機を持っているようです。そういえば、シドニーを出発する時に、全く同じ時間に
サモア行きが2便あったのでおかしいと思ってましたが、そのカラクリが理解できました。いつもの事ながら、
飛行場内でも大騒ぎです。飛行機の前でも皆が記念撮影したり、わーわー叫んでおり、現地の人におもいっきり
笑われました。
 我々の乗った飛行機は、楽しかったサモアを後にし、次の目的地であるハワイへ向かうのでした。

<ハワイまでの飛行機の中>
 まず、サモアから、ハワイへ向かう飛行機の中での出来事から。
 機内食が出ましたが、機内食が何故か1つ足りません。その被害(?)を受けたのが、いちばん後ろに
座っていたJF3PLFです。彼は乗務員用の食事を食べてましたが、乗務員は客よりいい物を食べているんですね。
この時、初めて知りました。
 JK3DEVの横にはFBな外人のYLさんが座ってましたので、一所懸命、話かけてましたが成果はいかがでしたで
しょうか?。(ただし、このYLさんは子供です。)
 JA3RCTにいたっては、持ち込んだウィスキーのボトルを飲もうとしてスチュワーデスにおこられてました。

<ハワイ1日目>
 サモアからの出発が遅れたので、ホノルルには予定より5時間ほど遅れて着きました。このツアーの添乗員JK3DEVの計画では、
この日も観光の予定でしたが、時間がなくホテルに直行する事にしました。
 ここで、日本から手配しておいたレンタカーの予約が1日ずれていたことに気付き、この日はレンタカーは無しです。
添乗員のJK3DEVのチョンボです。しかし、結果的にこの日の行動時間がほとんどありませんでしたので、その方が
良かったのですが。この頃からJK3DEVは完全に「添乗員さん」してました。
 ハワイに着くなり、みんな430MHzのハンディー機をとりだして、KH6/J*3***と運用をはじめます。ハワイでも430MHzの
ハンディ機が大活躍。ハワイではサモアとは大ちがいで、JAの観光客がいっぱいいます。(Wの人よりJAのほうが多い?)特に、
盆休みの旅行シーズンでしたのでなおさらです。しかし、ハンディ機を持って歩いているのは我々だけでしたので、
目立ちました。ただし、店の店員や警備員にまちがえらる事も多かったですけれど。
 よく考えてみると先発隊は行きもハワイに寄って観光までしてるんですね。サッちゃんは夏休み中に2回もハワイに
行ったと、学校で自慢できた事でしょう。
 この頃、会社の旅行でハワイにきていたJG3SAYと439.98MHz(JR3VUレピーター経由ではありません。)で連絡が
とれました。また、有線でJAに連絡をとり次の日から21MHz,14MHzでスケジュールを組むことになりました。
 夜はみんな揃ってステーキを食べに行くことになりました。やっぱりアメリカは牛肉が安いです。500gのステーキを注文しま
したが食べきれませんでした。($14ぐらいだったと思う)その後は自由行動で、夜のワイキキをウロウロしてました。
 ホテルに帰ってから再び宴会がはじまったのは説明の必要は無いでしょう。HI

<ハワイ2日目>
 まず、予約していたレンタカーを取りに行きました。借りた3台のうちの1台はクーラーもきかず後ろのタイヤがパンクして
いました。(なんという車を貸すんでしょう。)もちろん交換してもらいましたが、アメリカでレンタカーを借りる時には
注意が必要なようです。
 この日、JG3SAYは自由行動だったので、我々と一緒に観光をしました。ハワイは観光地として有名ですので、この記事
では観光名所の説明は省きます。
 まず、最初に行った所は「パンチボールの丘」。ツアーで行くと観光のルートにはいっている場所です。とりあえず、
ぐるっと1周して、記念撮影して終りです。
 私たちは、やはりどこへ出かけてもアマチュア無線家です。次に行こうと思ったのは無線機屋さんです。店の名前は
ホノルル・エレクトロニクスと言います。ここで、JF3PLFはHF用のプリアンプ・PT-3を買っていました。値段は、$109.96+TAX
(約16000円)日本で買うと24800円ですから安い買い物です。また、JR3OFXは、アスタティックのシルバーイーグルを買おうと
考えてましたが、$100以上しているので断念したようです。結果的にはこれは正しい選択でした。日本では
11000〜14800円で売っていますから、ハワイで特別安いという訳ではなかったようです。
 私もめずらしいものをとQST誌、THE FCC RULE BOOK(Wの電波法令集)、 Wのレピーターリスト (ちよっとした辞書ぐらい
あります。)、 ARRL発行のLOG帳 、 ADVANCE CLASS の LICENCE MANUAL(免許試験用のテキストです。)を買ってしまいました。
なお、JR3OFX は EXTRAのテキストを買ってました。
 この店の社長(KH6BM)が「日本で何ワットだしてるんだ?」と聞くから「100W」と言うと「そりゃいかん。
1KWのリニアはどうだ。今いいのがある。」とうるさいこと。丁寧にお断わりしました。HI
 さらに、JA3RCTは$120もするモーピル用のHFアンテナを買いホテルからQRVするとはりきってました。それもいろんなバンド
(18MHz、24MHzも含む)のエレメントを揃えてです。
 店員の兄ちゃんはペディに行った写真を見せてくれるし、店内でのアイボールの会話がはずみ結構長い時間いました。
 遅いめの昼食はアラモアナショッピングセンターでとりました。ここでJG3SAYと別れました。
 次に行ったのはダイヤモンドヘッド。普通は観光バスはふもとまでですが、てっぺんまで登りました。頂上にのぼった時の
すがすがしい感覚は最高でしたが、とりあえずしんどい。(日頃の運動不足がこんなとこででてしまいました。)
しかし、ラッキー(?)なことに、上ではビキニのおねえさんが日光浴していました。風景の写真をとるふりをして、
このおねえさんの写真をとっていたのはJA3RCTであることは絶対に秘密です。
 ダイヤモンドヘッドではリピーターのアンテナがたくさんあがっているのを見つけました。また、登山口の軍の基地にもタワーが
ありました。(これは、どっかのアマチュアのらしい)どこに行ってもアンテナが気になります。
 下山後、JA3RCTは買ったアンテナで電波を出したいとホテルに帰りました。(JAとのスケジュールもあるので。)残りの2台は少し
ドライブして帰りました。私はせっかく日本で車の国際免許もらってきたからと左ハンドルの運転に挑戦してみました。
外車(日本から見て)でしたので車幅の感覚がよくわからず、道路のわきに止まっている車にぶつかりそうになりましたが、
助手席のJK3DEVさんに助けてもらい事なきを得ました。(私は十分に通れると思っていたのですが、後ろを走っていた
JI3NTSの話では絶対ぶつかっていると言ってました。)そうそう、それと石原裕次郎の別荘というのも見てきましたよ。
 我々がホテルに帰ったところ、QRVの準備ができていました。JA3RCTが買ってきたANTがホテルのベランダ(31階)にセット
されていました。
(屋上にアンテナが張れないか探しにいったようですが屋上には、入れなかったようです。)  アンテナのベースを固定するのにホテルのパントースターを借用です。これでは完全でないので、ラジアルを張ったり、FL7000を重りに
しました。(地上からみたらめだちます。)
 ここでも、部屋にこもって無線するグループ(JA3RCT,JA3UWB,JH3TXR,JE3BUC,JE3QBG)と食事して夜景を見にいくグループ
(前者以外)に別れました。無線組は食事はカップラーメンを食べて ON AIR です。
 アンテナとリグが近いせいか、電波がリグに回り込んで、QRHを生じます。また、アンテナのケーブルが共振してリグをさわると感電
してしまいます。それでも、JF3PLFは感電しながらCWをやってました。JA3RCTがラジアルをふやしたり、アースをとったりして
ましたがダメ。結局、同軸を継ぎ足したらなんとかOKでした。(JA3RCTの執念です。)
 まず、21MHzを運用してました。このアンテナでCQをだすと、昼間いった無線機屋の店員さん(AH6IO)が呼んできてくれました。
さらに6mバンドもQSOしようと言い出します。6mのアンテナは買ってないと言うと、買ったHFのアンテナのローディングコイルをはずしたら
6m用になる、と言われ6mでもQSOできました。この人も相当な好き者です。やっぱり、無線が好きなおっさんは世界中
どこにでもいるということを実感しました。(我々も人の事を言えませんが。)
 ダイヤルをぐるぐるまわしてると、21MHzでホノルルにいた日本人のN6GZD/KH6(JAのコールはJL1BBD)とQSOできました。この人も
話し好きで、現地の局(KH6EM)も加わり、2時間ほどラグチューをしてしまいました。
 18MHzのCWでJF3PLFがN7DUU/NH6としてQRV。ちょっとしたパイルになってました。JAともQSOしていたみたいです。さすが、
パイル大好きのJF3PLFです。
 JAとのスケジュールはトライしましたが、NGに終りました。
この事件は、ハワイで何日目だったか忘れましたが、「JF3PLFが部屋しめだされ事件」が発生しました。ハワイではJR3OFX+2,
JF3PLFが同じ部屋でした。JR3OFXは+2を部屋に残したまま買い物に出かけました。ですから、サッちゃんは部屋の中から
鍵をかけて、ゆうき君といっとしょに留守番です。この時、外から戻ったJF3PLFが、部屋に入ろうとしましたが、鍵が
かかっています。ドアをノックしても応答ありません。フロントへ行っても鍵はありません。他の部屋に助けを求めてきました。
電話をかけてもだれもでません。そのうち、JR3OFXも戻ってきて、廊下から叫びたおして、中にいれてもらったようです。
サッちゃん、よっぽど怖かったんでしょうね。


<ハワイ3日目>
 この日は夕方のサンセットクルーズ遅れないようにとのJK3DEV添乗員の指示があり、数グループに別れ自由行動でした。
 JA3RCTはバスで市内をバスでうろうろしてたみたいです。
 車2台はJK3DEVの添乗員と島内一周観光パターンです。もう1台の車には私とJA3UWBとでパールハーバーとパラダイスパークに行き
ました。  島内一周組はアリゾナ記念館、パイナップル工場、ポリネシア文化センターなどを観光したきたそうです。いっしょに行ってないんで、
詳しい話はわかりません。すんません。普通の観光コースでったと聞いています。
 私とJA3UWBはパールハーバーめざして走るのですが、場所がわかりません。(地図も持たずに出発してしまった。)わからずに
うろうろして軍の入口で止められました。
 パラダイスパークも場所がよくわからず全然違う方向に向かって走ったり同じ所をグルグルまわってました。ですから、ここで
あまりゆっくりしている時間がありません。
ここでは、$5で腕にオウムやインコをのせて記念写真をとって、JAまで郵送してくれます。私とJA3UWBは写真をとってもらい
ました。半信半疑でしたが、ちやんと日本に写真が送られてきました。さらに、ここの店員のおねえさんといっしょに
記念撮影もできました。こちらは無料でした。("Is it no charge?"とJA3UWBが聞いたら、笑ってました。)
オウムと一緒に写真をとるのが有料で、人間と一緒がタダとはおかしな話ですね。
 夕方までにホテルに戻り、全員そろって、ワイキキサンセットクルーズに行きました。これは夕日が沈むのを船の上でみながら食事を
するという優雅なものです。どうせなら豪華にとファーストクラスを申し込みました。(船の上と下で値段がちがいます。)たしか、
$40ほどだったと思います。送迎バスがホテルに迎えに来てくれるはずですが、時間になっても来ません。どうもこのバスはホテルを
まちがっていたようで、かなり遅れてやってきました。
 本当は船の上で夕日をみながら、生演奏を聞いて、食事を楽しむのでしょうが、そんなシャレタことの出来る京都クラブでは
ありません。アルコールがはいればハワイも比叡山も同じ事です。
 ここでも変な英語が飛び出します。みんなの飲み物の注文をまとめてた添乗員JK3DEVが、JR3OFXの分のBLUE HAWAIIを注文
します。JK3DEVが言いました。
 "She is Blue Hawaii" (あれっ、JR3OFXの名前は BLUE HAWAII でしたっけ?)
 ほんとうにいつでもどこでもどんな状況でも無線をする(できる)京都クラブです。船の上でテーブルの向こうとこっちで430MHzの
ハンディ機でQSOを始めます。おまけにQSLカードの交換まで。みんなで呼び合いするから、パイルになるわ、無変調かけるやつが
でてくるわ無茶して遊んでました。そのうち船の中をハンディ持ってウロウロするやつまで出きます。(それは私です。)ちなみに、
このような状況になるのを予想し、ちゃんとログを持って行ってました。このあたりまでは身内だけの問題ですから、よかった
のです。
 アルコールが十分にまわってくると、だれも止められません。まわりの客(WのYLさん)と一緒にドンチャンさわぎです。我々の
回りだけもりあがってました。(ほとんどの人は静かに楽しんでいたのに。)最後には船上は京都クラブを中心に生演奏に
あわせてディスコ大会にしてしまいました。(無茶しますなあ)JA3RCTはサモアミュージックといってリクエストしますが、相手にはわかり
ませんよね。この宴会の料金は十分に元をとれたように思います。まあ、いつもの光景といえばそれまでですけど。HI
 船から降りて、オテルに戻ります。その後は、お買い物時間です。添乗員のJK3DEVにつれられ、免税店と実弾射撃です。
みなさん免税店で酒にタバコにといろいろ買ってました。しかし、実弾射撃は緊張しました。(やっぱり、夜店の射撃とは
ちがいますね。)
 Wのお巡りさんは気さくです。写真を撮ろうとするとポーズまでしてくれます。私なんか帽子をかぶらせてもらって、
一緒に写真とりました。パトカーにのって写真とらせもらった人までいます。まあ、日本のお巡りさんでも変った人いますけど。
ねっ、中山さん!!
 夜のホノルルを歩いていると、ハデな化粧のおねえさんが声をかけてきます。私の知る限りだれも後をついて行かなかった
ことを保証します。
 そのあと全員がホテルに戻り、最後の宴会およびミィーティングです。持って帰る荷物の振り分けや梱包をして寝ました。この時、
JA3UWBの帰りの飛行機のチケットがサモアで、切り取られているのに気付きました。(JA3UWBは帰れるのでしょうか?)


<ハワイ4日目>
 盆休みでこんでいましたので、全員が同じ飛行機で帰れません。3班に別れて帰ります。(全員、ファーストクラスです。)
 まず、一番組(JA3RZW,JI3NTS,JK3DEV)が朝早くにホテルを出発しました。
 中発隊(大阪行き)と後発隊(成田経由)は時間がほとんど一緒なのとレンタカーを返す関係で残り全員で空港に向かいました。
我々が空港に到着した時です。JK3DEVが439.98MHzで呼んでくるではありませんか?カツカツの弱い信号で。あれっ、飛行機
のってるのちゃうの?まさか飛行機の中から ON AIR かな?
 よく、聞いてみると飛行機の故障で1時間ほど飛んで戻ってきたらしく、待合室からこそっと ON AIR でした。ちなみに
この飛行機は4つのエンジンのうち2つが止まってたとか。よく無事でしたね。
 この飛行機の中で、JK3DEVが持っていたハンディ機の事で、JK3DEVと笑福亭鶴瓶が大喧嘩をしたようです。JK3DEVが飛行機の
中で鶴瓶を見つけ、ハンディ機をちらつかせます。そのうち、鶴瓶が飛行機の中に無線機は持ってはいったらあかんと注意
してきた事から喧嘩がはじまりました。その喧嘩を横から見ていて、写真にとったJA3RZWとの会話です。
 ツルベ  ”なんで写真とるんや!!”
 JA3RZW ”友達が変なおっさんに「いちゃもん」つけられてるから・・・”
これで、鶴瓶は完全に切れてしまったみたいです。この件はパペポ(夜中に放送しているTV番組)のネタにされたようでした。
(JF3LGCが放送をビデオにとってます。)このグループも遅れながら、無事に帰ることができました。
 後発隊(JR3OFX+2,JE3QBG,JF3PLF)は成田まで行き、成田で一泊です。(運がよければその日のうちに帰れます。)
 ホノルル空港のカウンターで、成田行きのチケットを譲ってくれたら、明日の大阪行きのチケットとハワイもう1泊と$400をあげると言われ
先発隊の心は揺れるのでした。どうせ、成田で1泊の可能性が高かったから同じことですから。結局、次の日の大阪行きが
とれなかったので、予定通りその日に成田経由で帰国になりました。
 JA3UWBのチケットの件もなんとか話がついたようです。(さすが、ファーストクラスの強みです。)
 この時期は盆休みの日本への帰るラッシュでした。飛行機の中では、ほとんどJAばっかり。税関もパイルになってました。
 しかし、ファーストクラスっていいですね。空港では特別の待合室に入れてくれるし、飛行機に乗る時も優先してくれます。機内では
シートに座ったら前のシートに手がとどきません。シートをリクライニングするとほとんど寝た状態になります。お酒も飲み放題。まあ、1万円札ば
らまきながら飛行機に乗っているのですから、これくらいのサービスしてもらわないとねぇ。みなさん、疲れて寝てましたが、私は
値段を考えるともったいなくて寝てられませんでした。
 少し遅れて、大阪に到着しました。JH3QNHとJK3DEVが空港まで迎えに来てくれました。(JK3DEVは一度、帰ってからすぐに来て
くれたようです。)
 後発隊も予定通り、次の日に成田経由で帰ってきました。

【JAに帰ってから】
 JAに帰ってから色々と後処理があります。JA3RCT宅にはSASEがいっぱ届きはじめました。JARLからのQSLカードも小包です。5W1IKは
"インディアなキロ”といっていたせいか、5W1INKと書いてあったカードがありました。また、5W1IFは酔っぱらってCWやっていたのか、
HW1IFと書いてあったカードがありました。(短点がひとつたりない。)
 JA3OINが全員のログをパソコンにに入力。これはQSLカードの発行・管理用です。

<8/26>
 共同で使った物を持ちより確認し、個人に返却をしました。また、同時に「個人の写真を見せあう会」で各自がとった写真の公開、
JR3KIBのビデオとJA3RZWのスライドの上映です。JK3DEV宅での結成会から帰国までですから、かなりの量があります。
 次はQSLカードです。5W1のQSLカードは一人ずつでは余りますので(QSLの印刷は1000枚単位ですから)、QSOの数に応じて
何人かでQSLを作ることに決定しました。

<8/30>
 QSLの写真とのデザイン決定です。ちょっとこの写真の解説を。

 5W1ID,IE,IT   毎度おなじみ撤収の時の全員集合の写真です。
 5W1IF,IG     ホテルの中庭にたてられた3エレトライバンダです。アンテナの下の箱は、トイレではありません。配電盤が中にあります。
 5W1IH,II,IJ   サモアの「ファレ」スタイルの国会議事堂です。右が旧の建物で左が新しい建物です。
 5W1IK(2種類) パラダイスビーチの風景、海岸でIK,IF+2と現地の子供と記念撮影の2種。先月の写真は前者です。
 5W1IL      大活躍3エレトライバンダのアップです。
 5W1IM,IN     サモアの田舎街の風景。右の家が「ファレ」というこの国の標準的な民家です。

<9/12>
 個人で焼き増しを申し込んでいた写真を配ります。このころJA3OINの毎日の徹夜の努力で、全QSOデータの入力が終り集計が
でました。ログをプリントアウトした物のを各自にいただきました。コール順、バンド別、モード別のリスト付きです。良い記念になります。

<9/22>
 YAQミィーティングで報告会。月例ミィーティングで5W1スライド上映と写真展示が行われました。

<12/22>
 最後の締めくくりとして、「打ち上げパーティー」が行なわれました。いままでの借金をすべて精算し、5W1ペディは完全予定終了と
なりました。(まだまだQSLは来てますが)

【まとめ】
 JAでは我々メンバーのチェックリストを作成して全部QSOしようとガンバッテいた方もおられたと聞いています。結局、全員とQSOできた
のはJH3QNHのみのようです。5W1ITがポイントだったようです。JN3RBEは5W1ITとQSOしておきながら、5W1IFをのがしたとは
もったいない。
 サモアの感想ですが、帰ってから、みんなサモアはいいとこだ、もう一度いってみたいといっています。そりゃそうでしょう、旨い
もん食って、酒のんで、無線やって、昼寝して、気の向くまま自由な生活してるんですから。ほとんど天国です。
 最初は、先発隊みたいに1週間も行ってもしかたがないと思っていましたが、今から思うと無理してでもこっちに参加したら
よかったと思ってます。
 海は奇麗ですし、星はたくさん見えますし、自然がいっぱいで、この国では人間と自然が一体となって生活しています。普段、
我々が忘れかけていた本当の自然というものを思い出したような気がしますし、最近いかに人間らしい生活をしていないかというのが
わかりました。逆に考えると、日本が物質的に恵めれているかも思い知らされました。
 今回、私は海外旅行ははじめてみたいなものでした。特に5W1は日本からツアーなどもなく、個人で簡単に行ける様なものではありま
せん。ですから本当に良いチャンスだったと思います。
 ペディに1回行くと、癖になるというのは本当ですね。あのパイルをうけた味が忘れられません。最近、ムズムズしてきてます。
この快感をみなさんも味わってみたらいかが?
 今回のペディ(というよりDXバケーション)は素人ペディとしては成功と判断してもいいでしょう。このペディが事故もなく無事成功に終了
したのは、JK3DEV,JI3NTSの旅行会社の手配、JF3PLFの現地との交渉、JA3RZWのスライド、JR3KIBのビデオなどといった参加
各局が協力しあえたと事であると思いますし、なによりも陰で色々な方々の御協力が大きかった事と感じております。現地で
大変お世話になった 5W11GP,GW,FD,ならびに、設備を貸していただいたり手伝っていただいた現地の方々、日本から持って行く
器材を手配をしていただいた方々、このペディを応援していただいた・JA3YAQのみなさん・JAのみなさん・京都のみなさん・
JARL京都支部、定時連絡につきあっていただいた方々どうもありがとうございました。紙上を借りてお礼を申しあげます。
 さて、次はどこに連れて行っていただけるのでしょう?JF3PLFさん、企画してくださいね。
 へたな文章を最後まで読んでいだだき、ありがとうございました。


<結果と講評 by JF3PLF>


   <<< 5W1ペディのQSO数集計 >>>

CALL  : 3.5  7   10   14   18   21   24   28   50 : SSB   CW  FM   RTTY :TOTAL
------------------------------------------------------------------------------
5W1ID :                     1  111    2         1 : 113    2            :  115
5W1IE :       1             5  129   11   77   32 : 255                 :  255
5W1IF :  1  127      132        29    5   77      : 150  221            :  371
5W1IG :                        323         4      : 327                 :  327
5W1IH :               90    2  220   15           : 327                 :  327
5W1II :                        161    1           : 162                 :  162
5W1IJ :                        260    1           : 261                 :  261
5W1IK :  1    1   1  139   28  797  125  188   33 : 659  611  42      1 : 1313
5W1IL :  1  451  46   79   50  661   21  338      : 790  757        100 : 1647
5W1IM :              114       281    4           : 399                 :  399
5W1IN :                     1  369                : 370                 :  370
5W1IT :                          2                :   2                 :    2
------------------------------------------------------------------------------
TOTAL :  3  580  47  554   85 3343  183  688   66 :3715 1591  42    101 : 5549

 以上のように、合計5549局で、87カントリーでした。なお、PLFさんが、この結果を
分析されていましたので紹介します。

 @モード別では、SSB が多く、CW が少ない。これは 40 周年記念行事であり、OP が必ずしも
  DXer と呼ばれるような、ペディション慣れした者の集団ではなかったことによる。
  しかし、目的から言って、それでいいのである。卑下する必要はない。
  RTTY での 100 局はまずまずの成果であった。5W1GP,GW 各局の機材貸与に感謝。
 Aバンド別では、何と言っても WARC NEW BAND での QSO が目玉であった。また、50MHz でも、
  6ELE 持参が奏功し、JA とのオープンがあった。ただ、6ELE が来るまで(先発隊だけの頃)、
  他のバンドに追われ、6m の QRV まで手が回らなかったことが惜しまれる。また、
  ローバンドの QRV が不十分であったかも知れない。
 B全般的には、素人ペディとしては上出来であった。次回、メンバーがどこか海外からQRV
  する時には、さらに高度なオペレーションが望めるであろう。


                                      (おわり) 


(この記事は1989年4月から1990年2月京都クラブ会報No.228-238に掲載されたものです。)


  (C)Copyright JH3TXR & JA3YAQ 2000 All Right Reserved.  *** 無断転載,複製は禁止します ***


京都インターネット   ホームにもどる      WB01337_.gif ペディストーリーのメニューにもどる


  Last Update    May 12,1998